2016年6月1日
古来より大和から大坂への行き来に「大坂山」や「大坂越え」が重要な役割を果たしていた。今では、大坂越え=穴虫峠とピンポイントに説明する考えが主流のようなのだが、「大坂越え」はもっと広く、北の関屋越えから南の穴虫越を含み、穴虫の大坂山口神社から始まる長い峠越えだったことを体感しようとしている。
穴虫峠を越える道に太子道があった。名前の通り聖徳太子が法隆寺から河内の飛鳥に向かわれた道で、後には太子葬送の道となり、太子をしのぶ巡礼の道にもなった。太子道もまた古代の大坂峠を越える道であった。この道(の近く)を歩いてみる。
◆穴虫峠の馬頭観音
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