久多越

2015年6月 8日 (月)

能見越または久多越

2015年5月29日



 「いまだ越えず丹波越」の続編です。
 久多からは、冬場は交通遮断になるという、久多越(能見越)で帰ることにしました。峠越えで能見口まで歩くことで、久多の苦労も少しは分かるかも知れません。
 元々、「丹波越」をテーマにしているので、峠を越えて丹波(広河原は今は京都市だが、元来丹波だった)まで足を運ぶのも意味があるではないかと、単にこだわりだけですが。

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◆久多峠(能見峠)

 その「丹波越」のネーミングをつらつら考えていますが、桑原から峠を越えたら丹波だから丹波越というのがどうしてもしっくり来ない。久多が丹波だったら何も問題はないのですが、そういう時期があったのかどうか?丹波(たんば)と思って峠を越えたら山城だったとうことになりかねない。ツジツマ合わせのために、「丹波氏」の持ち山の谷または尾根を越えたので「丹波越」とか考えてはみたけれど、イマイチ?が残ります。いろいろ探していると、「タバ」は元々は「タワ」で垰、即ち峠なのではないかという記述がありました。
www.myayabe.net/web/modules/blog/print.php?blog_id=7(現在リンク切れ)
 この「丹波越」は元々桑原側にある丹波谷から来ているだろうし、その谷は、そもそも「たんば」でなく、「たば」と呼ばれています。ということなら、丹波越を越えたところは丹波(たんば)でなくても全然構わないことになります。国境を越えて丹波(たんば)に入るなら、ちゃんと、丹波越(たんばごえ)と言ったでしょうが、国境越えでもない峠なので、単に「たわ、たば」で、「たば谷」「たば越え」と言った。こんなところですかね?
 それなら、いまから能見越で(元)丹波に行こうとしているのは、いったい何?ということになりますが、昔の行商人もおそらくは久多から広河原や大布施、花脊あたりまでは行ったでしょう。

 少しすっきりしたところで、出発(12:12)。
Cut_2

 この地図は昭和43年発行の五万図で北山を歩いていた頃に、カラー刷りが出たというので買ったものですが、「久多越」と記入しています。昔から、気になっていた峠だったようです。

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