天王道

2015年6月26日 (金)

神君伊賀越のみち(2)穂谷越え


 これから穂谷へ向かいます。
 さて、平井氏が、また沙弥安と「けんしき」がどこを案内したのか、それが問題です。

【かいがけ道傍示越】
 星田から穂谷へ行くのは「かいがけ道」が最短でしょう。これは歩きやすい古道で、河内の傍示を通り傍示越えで大和傍示に至り、天王経由で穂谷に降りる。また、高船経由で普賢寺谷に降りるのも簡単です。
 問題は河内傍示に伊丹氏がいることです。かつて摂津国伊丹城の城主であった伊丹兵庫守親興が、足利義昭に加勢して織田信長と戦った。結果、敗退し、高槻芥川城に逃げ込んだものの、この城も織田方の荒木村重に落とされ親興は討死した。残った「伊丹一族」は淀川を渡って交野の地に逃げこんだが、織田方の追手が厳しく、竜王山のうしろにある「傍示の里」に入り込んだ。伊丹氏が傍示の里にやってきたのは天正元年(1573)のことと言われています。
http://www.konishi.co.jp/html/fujiyama/itaminorekishi/Part_4/page10.html

 以来9年、せっかく安住の地を見つけた伊丹氏にしてみれば戦闘意欲はなくなっているにしても、30人もの武者が迫ってきたら、「まだ追って来るのか!」 と、悪くすれば死に物狂いで戦うことにもなるでしょう。家康は伊丹氏の情報も仕入れていて、そんな場所には近づかない。要は、危ないことはなにもしない、 誰にも会わない。これが行動の基本だったでしょう。
P1120109R1219917 ◆かいがけ道          ◆河内傍示

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2015年4月 5日 (日)

河内・私市から山城・興戸へのみち(1)天王道まで

2015年3月26日



 訳あって、河内、具体的には星田から山城は興戸(三山木でもいいですが)への最短経路を探っています。
 今回は、私市カントリーの谷筋にあったと考えられる道から峠(自称、くろんんど越としておきます)を探り、くろんど池に降りて、天王経由で興戸まで歩きます。途中、まだ歩いていなかった「天王道」を通ってみます。

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◆自称、くろんど越

 創元社「関西ハイキングガイド」を見ていると、星田妙見-今の星田園地-磐船神社-今の私市カントリーの中-くろんど池をめぐるハイキングルートだったことが示されています。この道は現在の私市カントリーゴルフ場の中を通るハイキングルートとは違い、ゴルフ場の中の谷筋を通っているようです。ゴルフ場の中は通れないので、府民の森・くろんど園地のスイレン池から兎が原を通ってくろんど池に至る道で、国境(現、府境)を越えるあたりから尾根に上がり、国境沿いに自称「くろんど越」に行ってみます。

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◆創元社「関西ハイキングガイド」第3版S50)

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