寝屋川

2016年1月19日 (火)

古堤街道散歩(4)

2016年1月8日



 古堤街道つづきです。
 以前、住道から太子田までは歩いていますが、寝屋川沿いだったので、高いコンクリ塀しか見えず、たまらず太子田から古堤に入ったのでした。今回は逆コースで住道経由、中垣外まで歩きます。
 古堤街道のこのコースもカルタウォークの記録があります。参考にしながら・・・後参考ですけど。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kanahori/daitouwalkfuru2.htm

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◆中垣外の「すぐいこま」道標

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2016年1月16日 (土)

野崎道・旧古堤街道散歩(3)

2016年1月8日



 野崎道・旧古堤街道歩きも徳庵でウロウロしている内に、桂春団治さんが亡くなられたというニュースが飛び込んできました。9日午前0時11分、享年87歳(85)。かっこいい人やったなあと思う。シャキッと羽織を脱ぐシーンも何回か見せてもらった。ご冥福をお祈りします。
  たしか、「野崎詣り」が十八番の一つやったなあ。ボクが野崎みちを歩いている最中に亡くなられたとは・・・絶句ものですが、なにかのご縁なので落語「野崎詣り」を少し調べてみました。
世紀末亭さん:http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug124.htm (枝雀さんモノでっけど・・・)

 喜ぃ公、清ぇやんが「えぇ時候になったんで、ひとつ野崎さんへお詣りしょ~やないか」というところから噺が始まる訳でございます。五月一日から七日は野崎さんの「無縁経法要」があって、大勢の人がお参りするのです(野崎参り、野崎詣)。野崎参りは江戸時代の元禄年間(1688~1704)から盛んになったといいます。ボクも昔お参りしました(電車で)。

 喜ぃ公、清ぇやんは、「・・・大坂城を通り過ぎ、片町、京橋、さて徳庵堤(注:ここは、とっくぁんつつみと聞こえる)にかかってまいりますといぅと、なんと申しましても、大勢の人でございます。」
 ここで、喜六が「歩き疲れた」と言うので、清八は「住道まで歩かさへん、舟でいこかい」となるのですが、「それはいやや」と喜六。
 これからすると、おそらく今福のあたりから舟に乗るようになっていたと思います。野崎詣りの時期だけ、普段は荷物を運んでいた舟(肥えタゴ舟もあったのか?)に人を乗せるようにしていたらしいです。もちろんちゃんとした屋形船もあったはずです。
 徳庵川(井路)は1655年(明暦元年)に開削され、土手ができます。それが後には野崎道・古堤街道になります。今の川は寝屋川でコンクリートの垂直護岸で高い塀があり、川面さえも見えませんが、開削されて以後、徳庵堤の土手にはナタネがたくさん植わっていたのでしょう。また、ナタネ畑も周辺にたくさんあったのかも知れない。5月のこの時期は「どこを向いても菜の花盛り」という光景だったのでしょう。そこをのんびりと野崎参りの舟がゆく。
 喜ぃ公はいやいやながら舟に乗っていくのですが、「しゃべってんと口ん中に虫がわく」というやっかいな性分で、徳庵川(井路)に入って、「道行く人とケンカでもしたらどうや」と指南され、おそるおそるながら口でちょっかいを出し、ワヤクチャ言って口げんかするのですが、そのクセすぐやり込められる。まことにのどかな徳庵堤の初夏の光景が語られます。
 野崎道・古堤街道は徳庵からは、諸福、太子田なの在所では川筋から離れる場合もありますが、おおむね川沿い、土手上を通りますので、住道までは、土手組と舟組とで言い合いしもって野崎観音に向かったのでしょう。

 春団治さんの落語聴きましょいな。まこと平和でのどかな河内平野の風情、そこをヤイノヤイノ言い合いながらお参りする大坂庶民の心根に触れることができ、ほっこりします。
改めて、春団治さんに合掌。

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◆古堤街道・中茶屋の道標

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2015年12月28日 (月)

野崎道・旧古堤街道散歩(1)

2015年12月27日


 久しぶりの街ブラです。河内水紀行の一部でもあります。
 カメラの修理品を受取に行った帰りに、京橋から野崎道、旧古堤街道を徳庵まで散歩しました。

 古堤街道は「大阪府誌」によると、「・・・・大阪市北區相生町國道第二號路線より起こり、東成郡鯰江村、榎本村、北新開荘村及び北河内郡今津村、古宮村、南郷村、住道村等を経て同郡四條村大字中垣内山間に於いて左右に分かれ、右は短距離にして奈良縣生駒郡井駒村に通じ左は少しく東北に觸れ田原村大字上田原國界より生駒郡北條村に通ずるものとす。・・・・」 というもので、大和への流通幹線である他に、野崎観音や生駒越えで寳山寺等に詣でる重要な街道でした。
 ボクは太子田から片町までの寝屋川沿い、住道付近、龍間付近、出店付近などと、部分的には歩いておりますが、河内から阪奈道路のぐにゃぐにゃを見ると、通しで歩く気力がどうしても湧いて来ません。
 今回は平地の街ブラ、(1)京橋から蒲生、今福、(2)極楽橋を渡って、今津、徳庵までを歩きました。

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◆京橋付近の古堤街道(野崎道)

■ここでちょっと、古堤街道関連の歴史の整理(主なものだけ)
・鯰江川は16世紀後期に開削。
  その後、三郷井路(五ヶ門井路と榎並井路)が今福の三郷橋の下で合流するようになった。
・古堤街道は鎌倉時代からあるらしいが、不祥。明治以前は大和道、奈良道など(住道までは野崎道とも)と言われ、野田から徳庵までは、(1)鯰江川右岸を蒲生、今福と来て、(2)旧大和川沿いに南に湾曲しながら今津(今の放出駅付近)を通り徳庵に至っていた。
・1655年:徳庵川(井路)開削。このとき以降は徳庵川右岸を通って、徳庵に至るようになった。
・1704年の大和川付け替え
 この後、
・1705年から、深野池干拓・新田開発。寝屋川を徳庵井路に繋げた
・1708年:徳庵井路に平行して六郷井路を開削。この井路は新開池干拓・新田開発による悪水を受け持った。
・明治以降は正式に「古堤街道」という名がつけられた。
・1907/28年:徳庵井路と六郷井路の仕切りを取り壊し、1本の寝屋川とした。
・1968年:第2寝屋川開設
参考文献:「河内平野の変貌と寝屋川の歴史」 山野寿男 ちんちょうち Vol4(2012)

それでは京橋から。

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2015年2月22日 (日)

■弁財天の谷と萱尾八丁古道探索

2015年2月21日

 実に久しぶりの星田の山です。さらに、約3か月ぶりの山歩きです。

 「星田の山と谷をくまなく歩く」というテーマで歩いておりますが、だいたいの谷筋は歩いたものの、寝屋川(川名です)の最東になる谷を歩いていませんでした。場所は、傍示川-地獄谷川の最も東、「宗圓ころり」の尾根筋のすぐ西にある支谷。これより東、宗圓ころり尾根の東の谷は妙見川で天野川水系となり、はるばる枚方で淀川に合流し、京橋で寝屋川と合流します。
 さらに、大昔、まだ小松寺があったころには、星田の人は、現在の南星台の地を通り地獄谷川を遡って、途中、弁財天の尾根道か萱尾八丁の尾根道を通って、北の小門経由、西の大門から小松寺に入って行ったといいます。廃寺になってからは多分星田の人の柴刈り山への道となっていたのでしょう。 (廃)小松寺は、平安期の845年から江戸元禄期の1703年まで星田山中の小松山にあった七堂伽藍の真言宗東寺はのお寺です。今は昭和40年頃からゴルフ場(現在は、ゴルフクラブ四條畷。)の一部になって入れません! http://www.eonet.ne.jp/~k-oya/haikomatutera.html  

 

さらにさらに、そのメインルート(萱尾八丁道としてよいのか?)も南星台の奥にD大のグラウンドができて、あろうことか、通行禁止にしているので、萱尾八丁の古道自体も通れません。使わない道は消えて行くばかりですが、数年前吉本山東谷を下ったときには、下部のほうにはまだ道が明瞭に残っていたので、尾根道もまだあるはずです。その道を探しに行きます。

「散歩」とは言いがたいので「山野跋渉」のブログにアップしております。こちらを見てください。

サイズ変更P2211462
◆弁財天尾根をのぼる古道

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2014年10月26日 (日)

河内水紀行 寝屋川下り(4) 京橋

2014年9月24日



 寝屋川下りの途中、寝屋川(街の名)あたりで徘徊を続けていますが、まだ整理中です。それは後回しとして、4回目としては京橋の徘徊をお届けします。前回8/29は放出あたりで雨に降られてJR京橋駅で打ち切ってしまったためです。
 すでに河内は通り越していて、さらに今回は寝屋川を遡る格好ですが、寝屋川下りシリーズに入れておきます。

 久しぶりに梅田に出てニッカーボッカーを買った帰りに京橋に立ち寄りました。正確には大阪城北詰・片町からです。

ただいまブログ引っ越し、再整中です。本文はこちらからお願いします。
http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/2014/10/4-ebb3.html

P1030140s
◆寝屋川河口・大川との合流点

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 大阪城北詰駅を出たらまた雨がポツポツきました。ま、水紀行ですから・・・

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2014年9月27日 (土)

河内水紀行 枚方丘陵西岸をゆく 太秦と秦

2014年9月13日



9.太秦をあるく

 見落としていた、熱田大明神、伝・秦刀鍛冶屋敷跡を見に行きます。

 寝屋川には太秦と秦があって、どちらも江戸時代からあった村なのですが、名前からして秦氏が居住した場所と考えられるのに、どうして「秦村」「太秦村」と2つあるのか?これがどうしても分かりません。

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◆太秦の地蔵堂


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2014年9月25日 (木)

河内水紀行 枚方丘陵西岸をゆく2 少路-高宮

2014年9月13日


少路から高宮へ歩いていきます。

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6.少路をあるく

■明和に登ってゆく小路(13:53)
東側が山手でゆるやかな傾斜の中に道があります。P1020649

西は低地で田んぼが広がっていますが、ここは讃良郡条里遺跡のまっただ中です。讃良郡条里遺跡は第2京阪や、その沿線にできるという大規模ショッピングモール開発で、平成23年8月から発掘調査が始まっていて、現地報告会が終わった状態です。
http://www.gensetsu.com/20120901sara/doc1.htm
www.occh.or.jp/static/pdf/data/setumeikai/2012.3.24sarajyou.pdf
まだ読みこなせていないので、とりあえず公式現地報告の資料を張っておきました。
南は蔀屋、北は秦町、東西は木田〜少路・太秦のラインで相当広いです。

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河内水紀行 枚方丘陵西岸をゆく 岡山

2014年9月13日


 水紀行とはあまり関係がないですが、枚方丘陵の西は昔は低地だったということで、無理やりこじつけておきます。8月5日と8月24日の寝屋川くだりの補充編で、小路の石仏群、太秦の再訪がメインです。コースは、岡山-小路-高宮-太秦-秦-寝屋-高田となります。
秦までは枚方断層帯を行くともいう。

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◆少路南の石仏群

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2014年9月24日 (水)

河内水紀行 寝屋川くだり(3)深野池跡ー京橋

2014年8月29日

 前回(8/24)は昼から雨で、エライ目にあいまして、太子田で中断となりました。再度のリベンジを期して・・・  今回は、四條畷ー深北緑地ー岸和田ー御領・氷野ー太子田で寝屋川に接続ー鴻池新田ー徳庵ー新喜多ー京橋と歩きます。

 ただいま、ブログ満杯ー引っ越し再整理中です。全記事はこちらを参照ください。 4回シリーズとなります。http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/2014/09/3-ce0a.html

P1020007

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2014年9月20日 (土)

河内水紀行 寝屋川くだり(3)諸福ー京橋

2014年8月29日


茨田大迂回

 諸福を辞去して西に向かいます。ここから先、中茶屋あたりまでは古堤街道が消失している区間でもあるし、かなり寝屋川から離れていくので、ここは寝屋川の河畔の道を歩くことにします。

■あまりおもしろくない道(15:31)
鴻池水みらいセンター付近
P1020304

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