2018年3月18日 (日)

葛城二十八経塚巡行 つないで歩いた記録(2018/3完)

■経塚をつないであるく                      2018/3/18完  経塚は全部お参りした(2017/5/12現在)。終わりにあたって、全体マップを描いてみた。厳密な巡行道はわからないが、可能な限り文献にある道を歩いた。経塚つまみ食いでなく、コマ切れのルートであっても、つながりのあるようにした。 経塚、行所は修験のシンボルでそのシンボルに苦労の末に到達し、お参りする喜びは行者さんのもので、ボクのような素人には、少しはあるにせよ希薄である。 しかし、今の時代、道中に難所は全くといいほどないにせよ、人里離れた山道を歩くことで、道々の自然を、花鳥風月を愛で、楽しむことができた。それだけでなく、人々の生活をみたり、荒れつつある自然の行く末を見つつ、考える、これが巡行の意味するところであると思った次第である。  歩くうえで参考にしたのは以下のサイトと書籍である...

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2016年9月11日 (日)

星田の東高野街道

2016年1月13日  冬の散歩を今頃! 久しぶりに東高野街道に散歩にでた時の記録です。別にアップしなくてもいいようなもんですが、何か気になっていて・・・  右手はパチンコ屋ですが、私有地というのはパチンコ屋のことでなく、正面の何かの業者の私有地です。少し先にバイクのおばさんが佇んでいますが。何かな?あの辺りまでは通行OKにしてくれてもよいのに。  大回りして、さっきのばいくのおばさんがいたところにきました。ここは東高野街道ですが、その縁は全然ありません。墓地への専用通路としてしまったようです。「東高野街道」の記載くらいあってもよさそうなものですが、そんなことにはとんと関心もないらしい。まあ、廃材置き場なんかとして転用されるよりかはマシとしましょう。 星田墓地のお地蔵さん星田墓地はいつできたか知りませんが、相当古い。知り合いのお家の墓もココにありますが、古くて墓石も壊れ...

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2016年9月 9日 (金)

浪花八渡 大阪渡船場めぐり(2)

2016年9月9日


 これから木津川運河を渡って船町へ渡り、木津川を渡ったり渡り返したりで大正駅に向かいます。
 基本的に工場地帯でしょうな。明治の終わりから大正にかけて、木津川沿いや船町も埋め立てられ、セメント、製鉄、造船、化学などの大工場が進出し、臨海重工業地帯を形成しました。特に船町はひとつの島の様相で、今も造船、鉄鋼、重化学の工場が健在です。

大正わがまち百科:http://www.osakacommunity.jp/taisho/machi_wagamachi.html
大阪渡船公式:http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000011242.html

P1010254
◆重化学プラント

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浪花八渡 大阪渡船場めぐり(1)

2016年9月9日


 いつも山ばかり登っているので、たまには海辺へ。
 大阪には8つの渡船場がありまして、かなり前には甚兵衛渡を渡ったことはあります。近隣の市民の足として定着していて、なかなか風情のある渡しだったので、今度は8つの渡しを繋いで歩いてみようと思います。
 甚兵衛渡は2008年に通りましたが、その翌年の冬に計画していて延び延びになっていたものです。途中、天保山登山と、甚兵衛渡に近く、三先まで回って、昔の仕事場の雰囲気を楽しむというオプション付きです。第1回目は桜島駅から鶴町まで。さてどうなっているか?

大阪渡船公式:http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000011242.html

P1010182
◆今日の最高地点(橋上は除く)・天保山

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2016年6月13日 (月)

岩橋山麓散歩

2016年6月10日




 岩橋山の名石を見に行く途中、長尾から竹内、兵家と歩いた。なぜか?葛城二十八宿経塚巡行を始める前から気になっていた神社があるのだ。それは、棚機神社。ちょうど岩橋山に登る手前にあるので行ってきた。
 棚機神社はなんと「大田」地内だった。明治の地図では磐城村岩橋小字大田で、岩橋は大字だろう。その守護神のような神社と思った。季節柄、暑かったがなかなかよい散歩コースだった。

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◆棚機神社 天棚機姫神

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2016年6月 7日 (火)

穴虫・大坂越散歩

2016年6月1日


 古来より大和から大坂への行き来に「大坂山」や「大坂越え」が重要な役割を果たしていた。今では、大坂越え=穴虫峠とピンポイントに説明する考えが主流のようなのだが、地図に描かれた穴虫峠に囚われず、「大坂越え」はもっと広く、北の関屋越えから南の穴虫越を含み、穴虫の大坂山口神社から始まる長い峠越えだったと捉えたい。
 穴虫から、穴虫越えや関屋越え、田尻越えの地形をみると、穴虫の大坂山口神社を始点に、ゆるやかな登りが始まり、新旧の長尾街道や太子道を通って河内各所へ越えてゆくスタイルになっている。この穴虫の大坂山口神社を大坂越えの起点としなくてどうするという思いだ。記紀の記事にある、
 ・天皇が大和の西の守護神として「大坂神」を祭った(日本書紀崇神9年3月条)
 ・崇神天皇のとき大坂の神に黒色の楯と矛を祀った(古事記)
というのは穴虫の大坂山口神社が最もふさわしいと思う。
 今回は穴虫の大坂山口神社を起点としてまんじゅう橋の道標地蔵(穴虫越え/田尻越え分岐)に至る小径を歩いてみたい。


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◆穴虫(馬場)大師堂から西穴虫への小径

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2016年6月 6日 (月)

竹田川太子道を遡り堺街道・穴虫峠散歩

2016年6月1日


 古来より大和から大坂への行き来に「大坂山」や「大坂越え」が重要な役割を果たしていた。今では、大坂越え=穴虫峠とピンポイントに説明する考えが主流のようなのだが、「大坂越え」はもっと広く、北の関屋越えから南の穴虫越を含み、穴虫の大坂山口神社から始まる長い峠越えだったことを体感しようとしている。
 穴虫峠を越える道に太子道があった。名前の通り聖徳太子が法隆寺から河内の飛鳥に向かわれた道で、後には太子葬送の道となり、太子をしのぶ巡礼の道にもなった。太子道もまた古代の大坂峠を越える道であった。この道(の近く)を歩いてみる。

P6011062
◆穴虫峠の馬頭観音

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2016年6月 5日 (日)

加守・長谷道から穴虫・長尾街道散歩

2016年6月1日


 葛城二十八宿経塚巡行で、二上山から第26番逢坂に向かう時、畑の春日神社に下山したが、それはやっぱり二上神社のある加守に下るべきではないかと思って加守に行ってきた。さらに、第26番経塚逢坂を調べて行くうちに、古来より大和からの行き来に「大坂山」や「大坂越え」が重要な役割を果たしていたこと、関連して、長尾街道や長谷みちなどが発展してきて、それに伴い、行者さんの道も影響を受けたであろうと思えてきた。
 今回は加守の二上神社から長谷道で畑、畑から長尾街道に入って穴虫西の峠まで歩いて、「大坂越え」の探索に接続し、帰りも見落としの多かった旧長尾街道を歩くことにした。もとより、大昔の道筋など確定しようもないのだが、それでも近辺を歩いて、あれこれ推定するのは楽しいものだ。それが古道歩きの醍醐味とも言える。それでは、加守・長谷道から穴虫・長尾街道散歩


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◆穴虫西墓地の阿弥陀様

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2016年5月26日 (木)

48年ぶりの佐々里峠

2016年5月20日


 1年ぶりに北山を歩く。北山といってもそれを通り越し、美山に行く訳だが(芦生までは行かない)。今回は佐々里峠を越えてハナノキ段に登ろうと思う、そのアプローチだ。
 佐々里峠は約48年ぶり。山登りを始めて半年、峠越えを意識した最初の峠なので思い入れも強い。尾花谷を詰めて、ぽっかり峠に出たところにあの石室なので特に印象が強かった。当時は、灰野に出て、須後の演習林事務所に立ち寄り、由良川源流を遡行したのだった。従って、峠越えはしていない。今回は佐々里峠越えで佐々里に降りる。新緑の峠越えを楽しみたいが、全部車道歩きになるのが・・・・


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◆佐々里峠岩室

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2016年2月 6日 (土)

天野川散歩3-岩船越

2016年1月14日
2016年2月2日


 球春到来!そろそろこちらも体を動かさないと!しかし、なかなかエンジンはかかりません。

 今回は、天野川散歩(3)として、岩船越え(岩舟越え、磐船越え)の旧道、旧旧道を探し歩いてみます。
 岩船越は河内・私市から田原へ通じる峠です。峠を越えて田原といっても大和・北田原と河内・上田原の際であったりしますが。
 岩船越でまだ通過していないのは、「鮎返しの滝」のキワを通っていた旧道です。ここは昭和30年代の台風で崖崩れがあって、それ以来通行禁止になっています。果たして通れるのか?
 鮎返しの滝周辺は磐船峡と言われていて名勝なのですが、結構、険阻な地峡となっています。そこを通っていた旧道の前には峠越え(尾根越え)をする旧旧道があったはずで、トンネル工事で峠は破壊されているはずですが、そこも見てみたい。それでは!

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◆磐船峡の崩落部

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