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2016年9月 9日 (金)

浪花八渡 大阪渡船場めぐり(1)

2016年9月9日


 いつも山ばかり登っているので、たまには海辺へ。
 大阪には8つの渡船場がありまして、かなり前には甚兵衛渡を渡ったことはあります。近隣の市民の足として定着していて、なかなか風情のある渡しだったので、今度は8つの渡しを繋いで歩いてみようと思います。
 甚兵衛渡は2008年に通りましたが、その翌年の冬に計画していて延び延びになっていたものです。途中、天保山登山と、甚兵衛渡に近く、三先まで回って、昔の仕事場の雰囲気を楽しむというオプション付きです。第1回目は桜島駅から鶴町まで。さてどうなっているか?

大阪渡船公式:http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000011242.html

P1010182
◆今日の最高地点(橋上は除く)・天保山

■コースタイム

8:32 桜島駅スタート
8:42 天保山渡船場
8:50 天保山■休憩 9:05
9:39 三先
9:44 ホームラン食堂跡
9:46 三先公園■思案休憩 9:56
10:08 三先天満宮
10:25 甚兵衛渡船場
10:55 千歳渡船場
11:25 鶴町■昼食休憩 11:50 
11:55 船町渡船場
12:20 木津川渡船場
13:03 平林貯木場
13:15 橋、渡船なし
13:30 コンビニ■休憩 13:40 
14:07 千本松渡船場
14:38 落合下渡船場
15:00 落合上渡船場
千島公園
15:38 大正駅
源兵衛渡し跡へ2.5km

■マップ

該当場所を手動で拡大してください。


1.天保山渡船場と天保山

桜島駅、8:32スタート。駅前でちょっと準備。
ユニバーサルシティ駅は朝早くから若い人を中心に大勢の人だった。あとで調べてみると、ハロウインが今日(9/9)から始まるのだった。「やりすぎだよーーっ」というヤツ。
しかし、桜島駅の人出はなんやろか?バスも出ていたので、舞洲人気なんだろうか?

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 USJの裏手、従業員入口のあるあたり、ちゃんと天保山渡船場の道標もある。USJと海遊館を結ぶ「幹線」になっているようでした。

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■天保山渡船場
8:42、渡船場入口

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船が着きました。結構な人が乗っています。R7313920

8:44、こちら側が乗船開始。なお、デジカメの時刻は4分進んでいました。R7313921

天保山の海遊館を望む。あとで気がつきましたが、船上からの撮影はNGだったので、以後は自粛。

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スムーズに渡れます。職員の方に挨拶して上陸します。

天保山側の時刻表と待合室建屋
桜島側も同じです。天保山側に係留されていて、時間になったら乗船・出港します。折り返して天保山側に帰る。今乗った船は8:40のものでした。乗客人数の割には本数がすくないような・・

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■天保山登頂
上陸してすぐの所に記念碑が建っています。この横に、日本一低い三角点の山・天保山があります。すでに登山が終った状態でピークを探します。

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明治天皇観艦之地

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立派な石碑に比べて、山頂および三角点は質素。三角点はどこや?と探したら、正面の看板の前のコンクリート面に埋めこまれてありました。P1010181

 実は、2014年4月以降は、宮城県仙台市の日和山が標高3mで日本一低い山となっています。「日本で二番目に低い山」となっているらしいのですが、山名板は「日本一低い」まま。

P1010183

こちらは公園中心の展望台。よっぽど山頂らしく見えます。
 なお、歩いてくる人は多分ポケモンGoプレイヤーでしょう。さっきの広場にも数人いました。なかなかのキャラが出るらしいです。

 天保山は元々、洪水防止と大坂への大型船の入港をしやすくするため、「天保の大川浚」が行われ、その際、安治川河口付近に川を浚った土砂による大きな山が出来上がったといいます。それが天保山の原型で、頂上からの眺めがよく、桜の木なども植えられ、大坂の新名所となったらしい。また、船が安治川へ入港する時の目印となったため、当初は目印山と言われた。その後、天保の頃できたので「天保山」となったという。

天保山についての蘊蓄は:http://www.city.osaka.lg.jp/minato/page/0000160768.html

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2.三先の変貌と甚兵衛渡船場

■安治川と新田開発
9:08、防潮堤。潮の匂いがします。R7313935

9:11、橋を渡ります。下は天保山運河。阪神高速2本ジャンクション、R172(みなと通)、地下鉄と多数のラインが集中しています。どれがどれやら?P1010191

左手は、天保山運河が安治川に接続するあたり。P1010192

9:13、橋はやっと向こう岸への下りに入っています。地下鉄が通った!中央線。これでだいたいの位置関係がわかりました。

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みなと通りはウルサイので、2本東の通りに入ります。
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9:25、八幡屋商店街。ドームがあります。P1010203

 八幡屋というのは元禄期に新田を開発した開発者(町人)の名前から来ています。商人でしょう、今で言う民活。
 そもそも論ですが、天保山も含めこの周辺は、江戸時代まで淀川が運ぶ土砂が堆積してできた土地、沼と葦原が広がる無人の荒野でした。1684年(貞享元)、 淀川治水のため、河村瑞賢が淀川河口にあった九条島を削って、新川開削に着手、1687年(貞享4)年完成。 1698(元禄11)年、「安治川」と命名。「安く治むる」という期待ですね。この時の土砂でできた人工の山が「波除山」や「瑞賢山」と呼ばれた丘で、いまは石碑だけ残っています(弁天東公園)。
 この工事は治水のほかに、船が直接に大坂市中に入れるようになり、商業都市大坂の発展に、大いに寄与しました。それ以外に、安治川周辺では新田開発が盛んに行われるようになりました。
 
1700年頃(元禄年間)、 市岡新田の開発。以後1800年代中頃までに渡り、石田・田中・八幡屋・ 北福崎・南福崎などの新田が開発されていきます。
安治川開削:http://www.city.osaka.lg.jp/minato/page/0000341559.html
新田開発:http://www.city.osaka.lg.jp/minato/page/0000341562.html
 天保山ができたのはそのずっと後、1831(天保2)年に行われた浚渫工事の結果です。この時の春節土砂でつくられたのが「目印山」で、後に、その時の年号から「天保山」と名付けられました。
天保山:http://www.city.osaka.lg.jp/minato/page/0000341566.html

 このあたり、全部大阪市のサイトから持ってきています。きりがないので引用中止。コンパクトにまとめられていて予備知識を得るには最適です。
港区歴史年表;http://www.city.osaka.lg.jp/minato/category/160-5-1-0-0.html

立体駐車場みたいですが、なかなかシャレている。R7313945

■三先の変貌
9:39、おっと見覚えのある風景。NAKAMOTOさんは立ち飲み屋です。三先1丁目の交差点を東に入った辺り、行き過ぎました。R7313948

おかしいな!?ここのはずですが?何を探しているかというと「ホームラン食堂」

R7313949

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 コインランドリーしかありません。近くの三先公園まで戻って、マップの検索。場所は間違いないので、廃業したみたいです。名前もアレですが、風情もなかなか良かったので再訪しようと思いましたが、残念です。
 公園で地図を見ていると、急に大勢のジジババが(ってボクもその部類ですが)集まってきて、何かと思ったら、10:00からラジオ体操が始まるのでした。退散!
 再び三先のNAKAMOTO前まできて、近くの天満宮にお参りしました(10:08)。

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この向かいには仕事で大変お世話になった研修所が・・・・あるはずでしたが、ナイ!
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 そこは真新しい住宅が建っているだけでした。おかしいな、昨年の6月には、ここはエエゾ、と知人に紹介したところなんですが・・・絶句モノです。
 一言でいうとオールドファッションな研修所、大阪の世話焼きおばちゃんが切り盛りしていて、コチラ側で気をつかうところは全く無い、昔風の独身寮みたいなところでした。おかげで、コチラは仕事に専念できる。
 一度、ここで急性腸炎でぶっ倒れて二晩うなっていたことがあります。一晩目の夕食にウニの箱入りがでて無理やり食べたことを思い出します。普通でもとびきりの食事がでましたが、時々、ありえないほどの豪華版がでました。聞くと「ナニ、市場が近いんで安かったから」と、平気な顔でした。その時は、3日目に入院しましたけど。いろいろお世話になっているので、ケーキを持って行ったり、酒を持って行ったり。
 相当思い入れもある研修所で、仕事場でもありましたので、しばらく呆然と佇んでいました。時代は巡るか!

■甚兵衛渡船場
 気を撮り直して先を急ぎます。しかし、テンションは下がったまま。
10:17、引き込み線跡を通過。2008年にこの前方を横切りましたが、その時はまだ線路残っていたような?
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10:20、甚兵衛渡船場
ここは以前、2008年8月6日に訪れています
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尻無川を渡ります。通常は対岸に船が係留されていますが、昼中は15分に一本、朝のラッシュ時には時刻には関係なくひっきりなしに往復するようです。たしか、大阪渡船のなかで一番利用されているのではなかったかと思う。P1010208

船がやって来ました。10時過ぎということで流石に人は少なくなっている。

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泉尾側の入り口と事務所

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 この渡し場辺りの堤にはハゼが植えられていて、紅葉時期にはかなりの人出で賑わったらしい。甚兵衛さんというひとが、渡しに茶店を開き、名物の蜆、蛤を賞味する人が絶えなかったらしい。それで、「甚兵衛渡」という名がついたのだとか。まことに風流な話ですが、そういう風流を楽しむ人々、風流をアシストする甚兵衛さんのような人、そういう価値観をもった人間が今後の大阪には必要なように思いますけどね、損得勘定ばかりでなく。

3.千歳渡船場

 大正区に入っています。泉尾から南下していきますが、工場地帯か事務所、上屋とかある。大きなテニスコートもありました。

10:52、千歳大橋。ここは歩道が併設されています。当然自転車も引いて歩けますが、これは結構辛いかも。
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恐ろしいような歩道です。ここでオプション案。阪神高速以外の一般道の橋は歩道が併設されているようです。2回目の渡船場巡りは、近くに一般道の橋がある場合には、そこを登って渡る!ちょっと考えものですが、見晴らしは抜群なのでは?

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10:54、千歳渡船場入り口
北恩加島から対岸の鶴町へ、大正内港を渡ります。P1010217

さて乗船。3〜4人でした。だいたいは自転車の人。P1010224

鶴町側。結構な人が乗っていきます。P1010227

鶴町側。すぐ上を橋が渡っているので、ここはぜひ橋上を歩いてみたい!R7313983


■鶴町ブラブラ

 鶴町は江戸時代は海の底でした。埋め立てされたのは大正時代。大阪港築港の浚渫ででた土砂を使ったらしい。その後は多分工業用用地だったのでしょう。
 今も工場が建ち並んでいます。そこはあまり歩いてもおもしろくはないので、一本か二本奥の道を歩きます。

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普通の住宅地になっています。R7313988

11:19、立派な公園もある。地理院地図によるとこの付近に1.4mの三角点もあるようですが、確認していません。高潮や津波が心配ですが、それ以外は平穏な住宅地の感じがします。

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11:20、商店街。

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お昼近くなったので、大通りに出てから蕎麦屋で昼食としました。

(つづく)

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