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2016年6月13日 (月)

岩橋山麓散歩

2016年6月10日




 岩橋山の名石を見に行く途中、長尾から竹内、兵家と歩いた。なぜか?葛城二十八宿経塚巡行を始める前から気になっていた神社があるのだ。それは、棚機神社。ちょうど岩橋山に登る手前にあるので行ってきた。
 棚機神社はなんと「大田」地内だった。明治の地図では磐城村岩橋小字大田で、岩橋は大字だろう。その守護神のような神社と思った。季節柄、暑かったがなかなかよい散歩コースだった。

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◆棚機神社 天棚機姫神

■マップ


■コースタイム

8:15 近鉄磐城
   いきなりモーニング休憩■
8:45 長尾神社
8:47 長尾街道道標
8:59 竹内街道地蔵
9:13 兵家分岐
9:29 浄水場上休憩■9:44
9:48 棚機神社 10:00


■岩橋山麓をのぼってゆく

 今日は朝メシ抜きで出てきたので、駅前でいきなりモーニングタイム。朝一番のバス6:20発で天王寺まわりできた。

8:47、型どおり、長尾街道道標。ここはとても重要な辻だ。

右 よしの つぼ坂 かうや
左 はせ いせ

長尾街道、竹内街道が、下市街道と、まっすぐ長谷道に分かれ、伊勢街道、初瀬街道になっていく。

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竹内に登っていく。
8:59、街道の道標のある所の地蔵山。格子から覗いてみた。へえーこういうお顔をしてはるのか。何度か通っているが初めて見た。「子まめ地蔵」さんというらしい。
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葛城山遠望
司馬さんがどこかの本に書いていたが、この付近から見る葛城山が一番オススメなんだそうだ。厳密には、長尾村の端、できうれば田んぼのあぜ道から望まれよ、ということだったので、竹内に入ったところでややずれてはいるが、許していただこう。

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岩橋山も入れといたげよう。
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9:05、鍋塚古墳
なんと、ナガスネヒコの古墳だという話もある。
http://urano.org/kankou/taima/taima04.html
司馬さんの本にも書いてあった。なんでも、土地の人(末裔の方?)がお守りされているんだとか。
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9:13、兵家から脇道のナナメ坂を登っていく。岩橋山もごつい山だ。あの谷を遡っていくのか。
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9:17、兵家(ひょうげ)も古い集落だ。なかなか感じのよさそうな佇まいだ。

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もう一度、岩橋山。角度が変わって、山の印象も変わってきた。
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9:26、平林古墳
6世紀後半の前方後円墳ということくらいしか分かっていないらしい。格子をのぞき込むとライトアップされる仕掛けだった。
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平林古墳の裏手の墓地のところで休憩。暑すぎだ!
ここからは、岩橋山が目の前の小山に遮られる。伏越のむらはあの小山(尾根)の上になるのか。
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 休憩後、棚機神社に向かう。上の写真であの尾根先の左側だ。なお、これから行く棚機神社は「大田」の地内だった。明治の地図では兵家も大田も、神社から一番近い在所「如意」も岩橋という大字?の内だった。



■棚機神社

9:48、幟がたくさん掲げてあった。地元も力を入れているようだ。
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 なるほど、恩返し譚の一種か。それに七夕信仰が重なった。しかし、渡来系の人々が機織りの技術を持ってここに定着した、というのがルーツらしい。
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鳥居
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 鳥居の中には「正規の?」由緒書きがあった。さっきのは確かに「物語」だろう。美しい物語だったが・・・

この「由緒」によると、
(1)5世紀頃、渡来人が最新の織機(棚台付きの織機、これを棚機タナバタというらしい)と絹織物の技術を持ってきた。
(2)同時に、タナバタ(七夕)伝説も持ってきて定着した。
(3)加守にある「葛木倭文坐天羽雷命神社」は元はここ(棚機の森)にあった。
 ※その倭文神社の由緒によると、倭文(シトリ)とは、コウゾ・麻・苧(カラムシ)などの繊維を赤・青などの原色で染め、それを横糸として織りあげたわが国固有の 古代織物らしい。この倭文織りの守護神が倭文神で、この神を祖神として倭文織りを業とする倭文部(シトリベ)の一族が居たのかもしれない。
(4)祭神は、織物の神様である「天棚機姫神」

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石の祠に「天棚機姫神」が祀られている。
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左手には石碑、石祠があるが、よくわからない。頭天大神と書かれてもまったくわからない。
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 天棚機姫神。さて、この神様だが、わが交野にもいらっしゃる。
 それはズバリ「機物神社」。機織りの神様を祀ると同時に、今では七夕祭りも盛んになっている。そういうこともあって、この棚機神社が気になっていたのだ。
機物神社サイト:http://hatamono.web.fc2.com/
 機物神社の祭神は、天棚機比売大神(あまのたなばたひめおおかみ)だが、天棚機姫神と同じだろう。機物神社では、「天棚機比売大神」「栲機千々比売命大神(たくはたちぢひめおおかみ)」をお祀りしているが、「天棚機千幡栲機千々波比売命」であったのを、余り長いのでは二神に分けて祭神としたという。

◆機物神社鳥居
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 機物神社の鳥居越しに交野山の大岩が見られたのだが、樹が茂ってよくわからない。それにしてもあの鉄塔、なんとかならんかったのか?
 機物神社では、条件がよければ、冬至前後の数日間は交野山山頂に日輪が光り輝く直前に交野山の裏側に白道(しろみち)(白い光の帯)が奔り、朝日山を鮮やかに浮き立たせる現象を一瞬見ることができるらしい。社殿ができる以前は交野山(岩)そのものが、機物神社の御神体であった。そこから太陽が登ってくる。

 こちらの棚機神社鳥居前から大和盆地を見下ろすと、これは絶景だ。東方を見ると、まっすぐ先には畝傍山が見える。ということは藤原京。そちらから登ってくる朝日の風景も絶景なんだろう。
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 ところで、我が国には古来から棚機津女信仰というものがあるという。
http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/other-folk/tanabata.htm
 棚機津女は、水辺で神の衣を織りながら神の訪れを待ち、やがて神の精を妊み神の妻となる巫女である。この棚機津女信仰が、中国から伝えられた七夕伝説と習合する。江戸時代になると、農村では、七夕は棚機津女の流れを引いて、水にかかわる農耕儀礼の性格を持ち、更にそれに盂蘭盆会の行事としての要素が加わる。
 上越国境にある巻機山には、機織姫という神様がすんでいて、越後・魚沼の人々は古くから機織、養蚕の神として信仰していたという。多分、この神様も同じなんだろう。
 写真は、富岡製糸場であった「絹の国のお宝展」で拝見した機神さま。伊勢崎市の大円寺のもので江戸時代のものという。どちらの天棚機姫様のお姿はこういうイメージなんだろう。
http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/2015/01/post-7da6.html

P1040009cut

 機物神社宮司さんの言葉にもあるように、「天棚機姫神の起源は、農耕・産業を司るのが本来のありさまで(機織姫、機神、棚機津女信仰)、後世になって七夕伝説と結びついて・・・・・」というのが実際のところだろう。もうすぐ7月だ。こちらの七夕祭りはどうなのかな。

他の参考サイト
棚機津女:http://youkai.tou3.com/Entry/66/
機物神社:http://www.cwk.zaq.ne.jp/fkfzb100/tanabata2.htm 、http://nagisa-minami.at.webry.info/200909/article_1.html


(岩橋山に続く)



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