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2016年6月 5日 (日)

加守・長谷道から穴虫・長尾街道散歩

2016年6月1日


 葛城二十八宿経塚巡行で、二上山から第26番逢坂に向かう時、畑の春日神社に下山したが、それはやっぱり二上神社のある加守に下るべきではないかと思って加守に行ってきた。さらに、第26番経塚逢坂を調べて行くうちに、古来より大和からの行き来に「大坂山」や「大坂越え」が重要な役割を果たしていたこと、関連して、長尾街道や長谷みちなどが発展してきて、それに伴い、行者さんの道も影響を受けたであろうと思えてきた。
 今回は加守の二上神社から長谷道で畑、畑から長尾街道に入って穴虫西の峠まで歩いて、「大坂越え」の探索に接続し、帰りも見落としの多かった旧長尾街道を歩くことにした。もとより、大昔の道筋など確定しようもないのだが、それでも近辺を歩いて、あれこれ推定するのは楽しいものだ。それが古道歩きの醍醐味とも言える。それでは、加守・長谷道から穴虫・長尾街道散歩


P6010828
◆穴虫西墓地の阿弥陀様

■コースタイム
-----------今回報告---------------
10:50 二上神社口発
10:56 二上神社 11:07
11:35  二上山駅昼食■11:49
11:53 志満堂間違いの地蔵
12:10 穴虫西墓地阿弥陀さん 12:18
------------別途報告--------------
12:24 穴虫地蔵石仏・太子道
12:35 大坂山口神社南参道鳥居
12:43 大坂山口神社
13:09 郡ヶ池
13:35 田尻峠/穴虫峠分岐■13:53
13:58 太子道磨崖仏 14:09
14:19 穴虫峠馬頭観音 14:30
14:50 田尻峠/穴虫峠分岐■15:07
15:26 大坂山口神社南参道鳥居
-------------今回報告-------------
15:38 穴虫踏切
15:49 長尾街道・伊勢街道分岐地蔵台座道標
16:00 関屋
16:09 関屋八幡神社
16:21 関屋駅

15km

■マップ


空色のライン参照




1.加守・二上神社

 今回は、近鉄新田辺-橿原神宮経由にしてみた。出るのが遅かったせいもあるが、予想通り時間がかかって、10:50、二上神社口到着。奈良に行くのに天王寺まで出なアカンというのがどうも釈然としない。
しかたなく、ゆるやかな坂道を二上神社に向かう。
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10:56、神社社頭の石標。二上山は左手の道を行くらしい。P6010734

手水の上に案内板があった。3神社併設なのか。P6010735

拝殿
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拝殿、本殿の周辺もは広々として清々しい雰囲気だ。本殿もまあまあ見える。両サイドに小社が配置されている。後でWEBを調べていたら、中に磐座があるんだとか。ここからは見えなかった。
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先程の案内板や扁額を見ると、3社が合祀されているのか。合祀とはいえ、センターは倭文神社で、二上神社はサブなのか。
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 そうすると、二上神社口の「二上神社」は雄岳山頂の「葛木坐二上神社」のことか。ご祭神 豊布都霊神(トヨフツミタマ)又の名 建御雷神(タケミカヅチ)、さらに 大国御魂神(オオクニミタマ)を祀る。記紀に、タケミカヅチは国譲りの時、抵抗するオオクニヌシの御子・タケミナカタと力比べをして勝ち、信州諏訪の地に追ったとある、その建御雷神か。
 大国御魂神は、建速佐男神(多分、速須佐之男(スサノオ)のこと)の孫(多分、曽孫)のことだろう。そもそも、大國御魂神は「国土の神霊の意」で、大和の守護神・鎮守神だろう。
 大和からみて(河内からみてもだけど)二上山は国の神霊を祀るにふさわしい姿の山だ。一度見たら忘れられない秀麗さで、金剛山、葛城山以上に引きつける姿を持っている。ここに沈む夕陽をみた(近鉄電車の中から)ことがあるが、それはそれはすばらしく、信仰心の希薄な者でも虜にする姿だった。こういうことで二上山へのいろんな信仰も生まれてきたのだろう。

 さて、倭文神社。葛木倭文坐天羽雷命神社。倭文(シトリ)とは、コウゾ・麻・苧(カラムシ)などの繊維を赤・青などの原色で染め、それを横糸として織りあげたわが国固有の古代織物らしい。この倭文織りの守護神が倭文神で、この神を祖神として倭文織りを業とする倭文部(シトリベ)の一族が居たのかもしれないが、詳細不明。要は、織物の神で、加守のすぐ北にある「畑」が、機織りの機(ハタ)の転訛である可能性は高いという。

 加守(掃守)神社。 加守というのは掃守ということらしい。掃守とは、古代宮中で掃除・お産などにかかわることを職としていたといわれ、その祖・忍人命が皇子の生誕に際して近寄ってくる蟹を払った(掃除した)ということだが、後産によって出てくる胎盤を蟹といったので胎盤を処理する意味もあるらしい。一方では、いや「蟹が逃げ出すのを防ぐ」とか、「蟹が甲を脱いで生命を更新する霊的動物と信じられたため、赤児の長寿を願ったもの」という説もあるらしい。
 その蟹守が転じて加守とい社名や地名になっているのか。
以上参考:http://www.y-tohara.com/nara-amenohazuchi.html
せっかくお参りしたのだから、せめこの位は調べておかないと・・・WEBもいろいろだが、しっかり調べてくれているサイトもあるのでね。



2.山麓道で畑

 これから、畑に向かう。山麓に道が続いているが、今は農道と見分けがつかない。溜め池の堤防に登ってみた(11:11)R7315240

道はR165のバイパスで分断されているが、トンネルで潜ると楽しそうな道が現れた(11:14)。
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ウツボグサが咲いていた。P6010764

畑の村中をちょっとウロウロしかけたのだが、時間も時間なのでお預け。ちょっといい路地があった。11:45、前に通ったことのある酒屋さん。
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R165を渡って大坂山口神社のほうに行きかけたがちょっと思い直して、陸橋から引き返す。駅前でパンを買って食べた。さて、これから、近くにあるという志満堂の地蔵さんを見に行く。
街歩きの時は、いつもは大まかに行き先だけ決めて、アプローチはほとんど気ままに歩くのだが、その行き先がまだあいまいだ。まだ、街歩きの調子が出て来ない。

 野道を歩いて行く。キレイな花が咲いていると思ったら、キンケイギクだった。いや、オオキンケイギクだろう。オオキンケイギクは特定外来生物で栽培禁止になっているはずだ。今、どんどん野生化している。今はどうかしらないが、昔はキンケイギクもオオキンケイギクも近縁のホソバハルシャギクもキンケイギクとして売られていたそうなので、それがオオキンケイギクの広がりに拍車をかけたようだ。近縁種との交配もするらしく、一見して区別がよくわからないらしい。インパクトのある黄色で群落をなしているとそこそこキレイなのでどうしても残してしまうと思う。自宅の近所の個人宅の崖にも野生化したのが生えている。なお、ピンクの花は知らない。P6010784

それで、お地蔵さん?(11:54)
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祠にはヨシズを被っていたので開けてみると・・・・どうも事前に写真で見たのと違う。後で調べてみると、志満堂の地蔵さんとは違った。もう少し先の個人宅の裏手にある、と描いてあった。後のまつり。

 帰り際にすぐ近くの個人宅の横に祠があったので寄ってみた。庚申塔だった。立派なものだ。脇には道があって、畑の春日神社から続いているので、穴虫の長尾街道に接続する山麓道だったのだろう。
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3.西穴虫の長尾街道

 これから穴虫に直行し、長尾街道に入って西穴虫の阿弥陀さんを見に行く。場所はちょうど電柱の左手、近鉄の送電線の向こう側の丘(穴虫西墓地)だ。ここは長尾街道がちょうど峠になっていて、大坂越えをするという今回のテーマに関連したところだ、さらに向うの山は谷(石田川)の川向こうの郡ヶ池のある山で、ここも大坂山の関所があったという説になっている場所だ。

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12:01、西穴虫に入る。ここは明治の地図で穴虫の西垣内となっている在所だ。長尾街道が畑から続いてきている。R7315251

12:03、二上村道路元標。
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12:06、大の松の墓
 旧街道はすぐに終り、R165に吸収される。その分岐点のあたりにあった。
 穴虫の大坂山口神社では古くから牛頭天王に奉納する宮相撲が行われ、「馬場のお宮さんの相撲」といい、相当な賑わいであったという。境内には「馬場組」とある記念碑がある通りだ。この馬場組をリードしたのは、地元出身の力士である大の松為次朗で、大正4年6月に大坂山口神社で引退興行を行った。大の松は引退後も勧進相撲の総元締として活躍している。

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その大坂山口神社にある、馬場の宮相撲の「桟敷」席。
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12:08、国道を少し歩いて峠付近に来た。ここが西穴虫墓地だ。
ここには阿弥陀様がいらっしゃる。P6010842_2

墓地の一番奥まったあたりに大きめのお堂があり、そこに阿弥陀様が安置されていた。
高さ105cmというので結構大きい。天文17年(1548)の銘があるという。元々は国道向うの池の辺りにあったのを、近鉄線施設のためこちらに移設されたという。
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この墓地は正面に二上山を望む絶好の立地にある。広い墓地で、ちょうど近所にあるさつきが丘の団地から親子づれでお墓参りに来ていた。
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 引き続いて、「大坂越え」の探索に入り(1)、さらに、石田川沿いの道(太子道の跡)を辿り、堺街道の穴虫峠まで歩いた(2)が、これらは別のレポートにゆずり、ここではいったん穴虫の大坂山口神社に戻り、旧長尾街道にて関屋まで歩いた報告をする。前回道を間違え、肝心の道標地蔵を見落としたのでリベンジだ。


4.旧長尾街道・関屋みち

 さて、穴虫の大坂山口神社までもどり、これから関屋道を登って行く。なお、穴虫の大坂山口神社から北に分れて行く街道(河内から言うと大和街道・長谷みち)は旧長尾街道と明示しておこう。長尾街道は明治に田尻峠が開削され、そちらが正式に「長尾街道」になったためである。WEBなどを見ていると、ゴチャゴチャになっていて理解がストップすることがあるので念のため。

15:35、穴虫(馬場)の村外れから、鎮守の森を振り返る。かん館メールマガジン(2009年1月号 Vol.40)によると、宮山という字名らしい。 http://www.city.kashiba.lg.jp/kurashi/0000001022.html
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この写真は振り返る前、前方(北)を見ている。P6011126

15:40 近鉄大阪線の踏切を越えて、しばらくは線路と併走する、実はバイパス陸橋の手前にも古い道標があったのだが、後で分かった。というのも、このサイトを見ていて分かった。このサイトはすごいぞ! 奈良県の道標調べ必須。
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15:44、田んぼの向うに前回通った道が見えてきた。P6011136

しばらく住宅地で分断されていたが、川沿いの道として復活。P6011142_2

15:50、旧長尾街道と伊勢街道の分岐点。こんなところにあった!実をいうと、前回はこの分岐でどちらに行くか悩んで地図を見ていて地蔵さんを見落としたのだ。見落とすはずのない大きな地蔵さんだけど・・・
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この地蔵さんの特徴は台座が道標になっていることだ。ちょうど花台で隠れてみえないが、移設があったので、逆方向を示しているという。
例によって、奈良県の道標なら、こちら。https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1ZlStvgEspYq9mjqrdJkBI4VaAHc&hl=en_US

代わりに、傍らにあった道標。 P6011150

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◆ [北西面] (梵字)、川よりみぎ、たゑまミ■(多分、「ち」)、太ミちハ、はせみち
例によって、こちらを参考にさせていただいた。

そうか、今まで歩いてきた「川より右」を長谷みちだと思っていたが、当麻みちというのか。

二上山が高山台住宅地越しによく見える。独立峰でたしかに聖なる山に見える。 P6011160

15:54、地蔵 さんを堪能した後、関屋に登って行く。以前は、このまっすぐな坂道をみて、こんなん街道と違うと思ったものだが、よく見ると、歩道部分がいい塩梅に曲がりくねっている。自動車時代に合わせて、古街道を修復したのだ。これで納得。
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15:57、坂の途中から振り返る
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もう少し登りだ。
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15:58、登り切った所に石碑があった。はて、「小北大明神」て知らないのだが・・・小北稲荷神社はこの地方によくあるようです。
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この辻も街道の分岐で、西面をみると、
左 たハらもと 泉?堺  ほう里うち
南東面は、右、たへま、はせ、いせ・・・

左は溜め池だがそちらが田原本街道、右が長谷みcじ、当麻みち、伊勢みちP6011189cut

溜め池の方に行ってみた。地蔵さんの祠がある。
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格子越しに無理やり御尊顔を拝したてまつる。P6011198

堤防の下にはすばらしい道が続いていた。堤防ができるまではこれが俵もと街道の古道だったのかも知れない。P6011196

池の端を通って、街道より一本北の道を歩いてみた。シブイ路地が続く。P6011202

16:09、八幡神社を参拝。美しい神社だった。P6011211

関屋の坂道を下る
P6011213

16:21、関屋駅着。

 今回は、新旧の長尾街道を中心に歩いてみた。新たな見落としもあったが、前回見落とした道標や石仏を見て歩けたので満足な旅となった。

(次回は明神山か)

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