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2016年2月 6日 (土)

天野川散歩3-岩船越

2016年1月14日
2016年2月2日


 球春到来!そろそろこちらも体を動かさないと!しかし、なかなかエンジンはかかりません。

 今回は、天野川散歩(3)として、岩船越え(岩舟越え、磐船越え)の旧道、旧旧道を探し歩いてみます。
 岩船越は河内・私市から田原へ通じる峠です。峠を越えて田原といっても大和・北田原と河内・上田原の際であったりしますが。
 岩船越でまだ通過していないのは、「鮎返しの滝」のキワを通っていた旧道です。ここは昭和30年代の台風で崖崩れがあって、それ以来通行禁止になっています。果たして通れるのか?
 鮎返しの滝周辺は磐船峡と言われていて名勝なのですが、結構、険阻な地峡となっています。そこを通っていた旧道の前には峠越え(尾根越え)をする旧旧道があったはずで、トンネル工事で峠は破壊されているはずですが、そこも見てみたい。それでは!

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◆磐船峡の崩落部

 関連場所のマップを時系列に取り出しました。
※「以下の地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。」

■1892~1910年地図
明治41年測図の陸測図ですが・・・
1892__2

(1)すでに鮎返しの滝を通る府道(国道?)がある
(2)滝の上流部に記念碑のサインがある
(3)尾根越えをしている町村道(間路)がある。これは1922-1923年版でも同様。
(古地図の尾根は地理院地図より10数メートル北にずれているが、とりあえずこれを無視しておく)

■1927-1935年地図
峠を越す古道(二重線の町村道)の記載は消されてしまった。
1927_

■1954年(昭和29年)
磐船隧道ができた。磐船峡を通らず谷筋を入ってヘアピンカーブしてトンネルに至っていたはず。http://murata35.chicappa.jp/hosinomati/katanokodo/iwahunekaido.htm
昭和25年(1950年)に岩船隧道が完成したというネット情報もある。
昭和30年代(1955-1964)に旧道崩落して通れなくなった。

■1967-1970年地図
磐船隧道の記載はなく切り通しを通っているように見える?磐船峡を通る旧道はなくなり、尾根の頂上にある送電鉄塔脇を通るように描かれている。ほんまか??
この切り通し表現と、尾根上部を巻く旧道がよくわかりません。
1967_

■1975-1979年地図
トンネル記載
1983_

■1988年(昭和63年)
トンネル改修。地図は1975年以降は変化なし。
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1.岩船越え旧旧街道

■磐船隧道南面です
このトンネルの上に上がります。左手(西)に少し入ってから尾根に直接上がります。P1141732_

尾根上からトンネル上の平地に降りる道が付いている。右はトンネル上の南側。
P1141737_ 1394_

 

■さて、いかにも峠のような気配なんですが・・・・・
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◆トンネル上から北方を見る

1396_
◆南方を見る

1395_
◆北方を見る

 
1892ー1910年地図の町村道はここより西にずれていますが、それは誤差と考えると、旧旧道がここを通って峠越えをしていたというのは理解できますが、その後のトンネル工事で峠の土は取り去らなかったのだろうか?トンネル上の土の層はかなり薄いのでいったんは取り去って、切り通しにしたのではないかと・・・。それでも、この岩盤部が残っていることを考えると、切り通しにした幅は2、3mくらいのものだったのでしょう。
 1967ー197年の切り通しの道がそのまま残っているのは、その後のトンネル工事を考えると、それは考えにくい。どうもよくわからない所です。

■いったんトンネル北面に降りてみます。
 一応、道らしきものはありますが、トンネル工事の際の残骸でしょう。
1399_

そこを降りていくと、トンネル北面から西に入る細道に出合います。
P1141772_

■旧旧街道
良い道が続いています。P1141774_

左(西)に大回りして降っていく。このあたり、1892ー1910年地図の町村道の位置と会っています。
P1141777_

谷川の端まで降りてきました、従来はここで向こうにみえる道路に合流していたのでしょう。

P1141786_

道は再度小さな尾根を越えて、磐船街道旧道の人家のところに降りていく。 P1141788_

磐船街道旧道の通行止め看板が転がっていました。P1141789_

ここで今の磐船街道に合流。P1141792_

 峠に登る旧旧街道はトンネル付近で若干古い地図とはずれますが、斜面のつづら折れ部分はちゃんと残っており、今でもハイカーに使われている。喜ばしいことです。

2.尾根上の関電道

 トンネル東側にある鉄塔まで登ってみます。斜面は急ですが、旧旧街道がトンネル上の峠まで来ていたとすれば、そこから東尾根に登って、今のゴルフ場に行く道がないかと思っていました。


少し登って峠を見おろす。ミツバチの巣箱があります。 1406_

踏み跡は尾根筋にありますが、獣道に誘われて、南の斜面に入っていきます。ブッシュではないのですが、急!樹の根元から樹の根元に渡り登る感じ。1407_

約50mの登りをヘロヘロで約10分。やっとこさで鉄塔まで来たと思ったら、デジカメのレンズキャップがないことに気がついて、へたばってしまいました。天を仰いで5、6分寝転んだまま!
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 磐船越え方面はよくよくレンズキャップの鬼門!これで2回目、通算3回目の紛失。ぐったりしながらも東の尾根筋を探索に行きました。関電道が続いています。
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鉄塔保守にキャタピラを使った跡がある。
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平坦で快適な尾根道を100m近く入ってみましたが、古道との関連は特になにもなし。取り付きのあの急斜面に、山仕事の道はともかく、人々が通行する道はないでしょう。
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元のトンネル上まで戻って、今度は尾根の西まで行ってみます。

相変わらず、快適な尾根道。P1141743_

尾根先端の鉄塔まで来ました。ここからは、吊り橋と哮ヶ峰がよく見えます。

P1141744_ P1141756_



西ノ斜面に踏み跡があったので入ってみました。斜面というよりほとんどガケですが・・・
P1141749_

こんな所に、1967年の地図に書いてあるような道があったとはとても思えない。

崖下に水流が見えるところまで降りましたが、これ以上は危険なので引返します。踏み跡はありましたが、物好きしかいかないところでしょう。
P1141752_

帰りがまた大変。ブッシュでないのがせめてもの救いか。
P1141754_

関電道を通って、トンネルの出口まで撤退。
P1141761_ P1141762_



3.磐船峡探索

■天野川に沿って旧道の跡を降っていきます
川のヘアピンカーブ。
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この先はフェンスで通行止めになっていますが、そこに接してホームレスの住居跡があります。時計やラジオ、暖房器具等が散乱していて、設備はすごく充実?している。どこかに白骨死体でもないかヒヤヒヤものです。
P1141764_

右手山側の尾根にとりつき巻きます。
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踏み跡が続いている。
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天野川の様子。水も河原もお世辞にもキレイとは言えない。
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■磐船峡崩落部
ガケにへばりつくようにして細い道跡が残っています。右手に小さな谷があって、そこが崩落したものと思われます。417_

崩落の先端まで行きましたが、行き止まりになっています。いったん川床まで降りて、段々になった岩を登りしかないようです。もしくはヘツルか、対岸に渡ったほうが良いかも知れません。
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昭和30年代に崩落があったということなのですが、それ以前は曲がりなりにも国道(県道か府道)だったので、道はもっと広かったのでしょう。
たむけのあむらさんのサイトに載っていた京阪電車のパンフレットの写真は多分このあたりから先だと思うのですが・・・
http://tanokenoamura.asablo.jp/blog/2010/07/24/5244803


鮎返しの滝はもっと先ですが、磐船峡の核心部だと思います。昭和10年以前のものだと推定されています。京阪交野線がまだ「信貴生駒電鉄」の頃か?

山側に溝の跡らしきものが残っています。そうすると、川の上に迫り出すようにして足場を組んで、道を通していたのか?半分暗渠状態だったのか?414_

振り返ってみますと・・・キワドイ道跡が残っています。
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 ここから先はいけなかったので、鮎返しの滝を含めた下流側は「交野市観光協会のサイト」を参照ください。
http://katano-kanko.com/category/highlight/

 交野市観光協会では、ここを道普請して通れるようにしたいという構想があるようですが、ちょっと水が汚いのが玉にきずでしょう。もう少しキレイだったら・・・一度は通しで遡行したいとは思っていますが。

■尾根中腹に道などありまへん
1967年の地図にある尾根の中腹道が気になっているので、ここから尾根に登ってみます。場所ホームレスのテントサイトの直下です。とりあえずは、正面の岩の上に上がる。
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下を見る。あるのはガケだけです。420_

もう少し登って下を見る。ガケです。421_

川面が見えなくなりましたが、ガケです。425_

ようやく鉄塔に到着して一息。何もありませんでした。
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とりあえずトンネルまで戻りました。

磐船隧道北口。また興味深いものがある。
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  松茸狩りについて、「昔は松茸がたくさんとれた」、という話は土地の人から聞いていますが、昭和40年代以降はないはずです。ヨメはこの土地の人間ですが、松茸狩りはしたことがない、と言ってましたので。交野観光協会のサイトでは、「昭和に入ると、磐船峡を眼下に見下ろす磐船古道を車で松茸狩りの客が訪れ、酔っ払い運転でしばしば深い峡谷に車が転落したという。救出に村人がよく駆り出されたそうだ。」とありますので、磐船街道が崩落した後でも、松茸は出たのでしょう。「自然の家」とはどこなのか?磐船の今の「月の家」さんのあたりにあったのか?それとも今のゴルフ場は昔はキャンプ場があったらしいので、そこにあったのか?相当昔の看板が残っているようです。

 休憩後トイレを借りに、磐船神社南の駐車場まで行きました。なにか騒がしいと思ったら、ゴミ処理場のようでした。平成29年7月31日までの工事とか。
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 生駒市民から顰蹙をかっている施設のようですが、お互い様かと。まあ、天野川の水質の劣化は生駒市だけでなく四條畷市も半分あるのですが・・・ゴミ焼却の排出ガスのスペックはかなりよくなっているはずなので、そんなに大きな害にはならないとは思うものの、国定公園やニギハヤヒ聖地の至近距離に作らんでもエエとは思う。生活に必要なモノではあるが、枚方の穂谷や尊延寺のようになるんではないかと心配するのであります。あそこは酷いワ。
 「けいはんな」という言葉は開発臭がきつすぎて使いたくいはないのですが、枚方(尊延寺、穂谷)、京田辺(普賢寺、天王、高船、打田)、生駒市(高山、北田原)、交野(倉治、寺、傍示、私市、磐船、星田など)、四條畷(田原)の一帯はなかなかすばらしい里山・里地が広がっています。まあ、ところどころ侵食はされてきていますが、この里山を生かした村作りをやってほしい。「街づくり」と言ってしまうと、どこにでもあるような街を作ってしまう。感性なってないです。少し前の国政選挙で、「この地の課題は?」と聞かれた国会議員が「町工場・地場産業の活性化」などと的外れな答えをしてましたが、それは東大阪やろ。課題設定が根本から間違っているのに、だれも突っ込まなかった。この地の課題は里山・里地の活性化、都市市民の活用の充実でしょう。こういうと、「スポーツ公園の開発」などという人がすぐに出てきますが、それは土地を転がしたいだけでしょう。スポーツ振興など全然考えていない。ゲスの極みな開発はイランと言っておきましょう。

イマイチすっきりしない散歩でしたが、今日は返ります。

P1141795_

(いったん終わり)

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コメント

お久しぶりです。今年、病気が再発して伏せりながら読んでいます。
 「自然の家」とありましたが、もしかしたら、トンネルの南側出口すぐの川沿いにあったお店のことだと思います。昔、兄がお伺いし、国道沿いカウンターのみの部分と、階段を降りて、川沿いの座敷があったと聞いていました。お酒を出す田舎の茶店のようなものでしょうね。20世紀末に無くなったらしく、地元の常連さんが居てらしたということです。
これからもご近所探索を楽しみにしています....。それでは....。

投稿: エセル | 2016年7月30日 (土) 08時19分

エセルさん、コメントありがとうございます。
お体大丈夫ですか?十分ご養生ください。
自慢ではありませんが、こちらも4月頃に病気が発覚して(病名ヒミツ)、通院+食事療法です。登山に関連する症状は足が頻繁に攣るということです。3月ころはかなり酷く、一度に両足が攣るとこけるしかなかったです。だいぶん良くはなってきて、負荷を増やしつつあります。
■「自然の家」情報ありがとうございます。トンネルを越したところにある住居残骸はその痕跡かもしれませんね。知り合いの老人に聴いてみます。
暑さを避けつつ、また歩きに出てみます。
それでは。

投稿: walkin | 2016年8月 1日 (月) 20時43分

お久しぶりです。お身体はどうですか? 私は一喜一憂です。
磐船界隈探索はもうなさらないのですか? また、生駒、交野周辺の探索、探検を期待しています! それでは、お気をつけて!

投稿: エセル | 2017年4月 5日 (水) 16時16分

エセルさん、こんにちは。こちらこそご無沙汰です。エセルさんのほうもまずまずのようでなによりです。当方も自称全快(医者は離しませんなあ、経過観察中です)ですが、追加でポリープ取りました。まだあるので1年たったらまたおいで、ということでした。
このブログが満杯で、近場の散歩・街道関係はlivedoor、山登りはfc2の方に移行しています。チョコチョコ歩いていますので、またよろしくお願いします。

投稿: walkin | 2017年4月 6日 (木) 11時17分

磐船街道が国道となったのは82年からです。

100番台国道の割に狭く400番台国道感が漂うのは、大和高田市~新宮市を結ぶ国道だった168号が82年に枚方市まで延長されたからです

投稿: 平井文明堂 | 2017年8月23日 (水) 19時46分

平井文明堂さん
コメントありがとうございます。1982年からの国道化、了解しました。該当箇所を訂正しておきました。
明治時代の地図で、磐船街道は片方細線の二重線でした。国道の二重太線と見分けしにくいものでした。

投稿: walkin | 2017年8月24日 (木) 23時15分

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