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2014年11月16日 (日)

穂谷川をあるく(4) 藤阪-牧野河口

2014年11月3日



 今日は藤阪から牧野の河口までを歩きます。距離は短いので昼前に出発です。しかし、藤阪でいきなり道草をします。

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◆招堤南町あたりの穂谷川

手動で拡大してください



 今日からデジカメに新しいのが加わりました。オリンパスXZ-2。型落ちですが、街ブラ、ウォーキングには性能十分、しかも安い。オリンパスEPL-1があまりに彩度アップした画像になるのと、パナソニックLX2が多少くたびれてきたので、新調しました。さて、どんな画像を出すか?



1.藤阪で道草

 何度も前を通りながらお参りできていなかった、藤阪菅原神社に行ってみます。藤阪駅を11:41出発。

■菅原神社(11:45)
 この前を通るといつも、興津の清見寺を思い出します。

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 「・・・神社の前庭のところに電車の片町線が走ってるのはどうゆうわけなんだろう 神社より電車のほうが大事なので 神社の人はそんしたな・・・」 これは、山下清画伯の言葉のパクリです。
 その昔、東海道は興津を通っていたところ・・・
「清見寺という名だな この寺は 古っぽしいけど上等に見えるな お寺の前庭のところに汽車の東 海道線が走ってるのはどうゆうわけなんだろう お寺より汽車のほうが大事なので お寺の人はそんしたな お寺から見える海は うめたて工事であんまりきれいじゃないな お寺の人はよその人に自分のお寺がきれいだと思われるのがいいか自分のお寺から見る景色がいい方がいいかどっちだろうな」(山下清 東海道スケッチより)
http://walkin.way-nifty.com/walkin/2009/08/post-a7ae.html

Pb030011 Pb030014 古い水盤も捨て置かれてるけど、それに落書きするヤツもいるんだな(左)。清見寺は陸橋を渡ったけど、こちらは、地下道なんだな(右)。

これが新しい手水舎なんだな、網がしてあるのは鳥が水浴びするんだな。
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扁額には天満宮書いてあります。
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電車は鳥居のまん前を走るけれど乗ってる人はお参りしないんだな
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 戸原さんによれば、「鎌倉末期の後土御門天皇(1198~1210)の頃に津田城主・備後守正忠が津田郷から一座(12戸)を移して拓いたのが藤坂村で、永仁6年頃(1298)頃は、津田郷の脇宮として三の宮座衆によって祀られていたらしい。その後、天正年中(1573~1593)になって津田城主・主水頭正時が社殿を造営した」(藤坂天満宮由来大意)これから見ると、藤坂村の氏神は穂谷の三之宮神社で、その末社であった津田(春日神社)から分けられた脇宮だった。
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/hira-jinjya-4.html
 さらに、本殿左に貴船神社、右に「守り牛」が祀られているといいます。拝殿の格子のすき間から覗いてみましたが、牛さんは見えるが、貴船神社らしきものは立札しか見えません。白壁の塀に囲まれていたので、これ以上は見えませんでしたが、中に入れるのか?
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 貴船神社といえば、水神さんで、旱魃のおりには氏子たちが雨乞いの祈祷をし祠をつくってお祀りしたという。杉より下流のこの付近の平地では、穂谷川をもってしても、水利がちゃんとなされていない時代は旱魃が度々起こって「神頼み」しかなかったのか。そういえばこの付近にも大きな溜め池があります。
 穂谷川の源流、穂谷の三之宮神社にも水神さんが祀られています。改めて、その水神さんを調べてみると、雨乞いの際、近郷五ヶ村(津田村、藤坂村、杉村、尊延寺村、穂谷村)の氏神に祈っても効果の無い時、最後の手段として村民がそろって太鼓や鐘を鳴らしながら神社に入り、御神体であるこの石を西側に流れる穂谷川に投げ落として祈願したとされ、願い叶って雨が降れば引き上げたと言われている。
 さらに、三之宮神社は津田郷の総社で氏子は五ヶ郷に加えて長尾村、野村であった(現在は津田、大峰、杉、尊延寺、穂谷となっている)
http://www.shoai.ne.jp/hirakata/jinjya/f120627/f120627.html

 これからすると、穂谷川は単に水を得るということに留まらず、水、水神を媒介にした流域民の精神的な繋がりをもたらしてきたものと言えそうです。穂谷川を遡っていくとい、三之宮神社があり、水の元締めとなる水神が祀られていて、さらにその奥には穂谷の神奈備山が鎮座していて、山の神がおわす、こんな構造になっていると思われます。道草が道草でなくなってきました。

■秋葉山石燈籠と道標
 菅原神社の旧参道石段の横にあります。
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「北 八わた一り半 京五り 宇治二り半」
「西 ひら方五十丁 高つき二り半」
「南 のざき三り 大坂六り 高野二十り」
「東 なら五り 施主・・・」
はて、東行きの道はここにはありませんが、なにしろ、菅原神社参道を分断するようなことですから、昔はここに道があったのか。もしくは今の王仁公園の端にあったのを移してきたか?いずれにせよ、穂谷川の低地でなく、少し高みのこの付近に、杉経由で田辺街道に合流し、穂谷越えで「なら」に至る道が通っていたのでしょう。

■田中家鋳物民俗資料館
山根街道の道草で行きましたので、今回は行っていません。が、お薦めです。
http://dokodemo-walkin.jimdo.com/%E8%A1%97%E9%81%93%E3%82%92%E3%82%86%E3%81%8F/%E9%AB%98%E9%87%8E%E3%81%BF%E3%81%A1/%E5%B1%B1%E6%A0%B9%E8%A1%97%E9%81%932/

■本当の道草
 ちょうどお昼だったので行ってきました。旧街道沿いにある「太郎右衛門」(11:53-12:11))
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 標準的な、もり蕎麦をいただきました。おいしい。ボクは蕎麦好きではありますが、蕎麦通ではないので、味はある程度いくと飽和してしまいます。おいしかったということですが、もうちょっと量があれば・・・2ハイくらいは食べられる。
 特筆すべきは、そば湯です。とろりとしていて、濃厚は濃厚なんですが、それではちょっとニュアンスが違う。「まったり」の本来の意味に近いが、違う用法も出てきているので注意。蕎麦の風味がストレートに伝わってきます。めずらしく飲み干しました。おかわりはできないのかしらん。

■旧街道風情(11:14)
 まったりとした気分になって、街道を歩いています。
蔵をうまく玄関先に持ってきた。いや、玄関先を蔵の横にもってきた。
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板塀の家。あまり見なくなりました。
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蔵と納屋のある道
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2.山田池公園をかすめて大峰の土手をゆく

■山田池公園(12:21)
とりあえず入ってみます。池のある方でなくて、広場の方をかすめます。広さは67.4haというのでとてつもなく広いです。全部見ようと思ったら1日ではききません。まあ、いっぺんに全部見るようなものではありません。
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ちょうど祝日のお昼時なので家族連れが思い思いに弁当を広げています。別のエリアではバーベキューもでき、お父さんが大活躍(という名の食事係)でした。Pb030047

それにしても広いというのは強みです。Pb030054

 少しかすっただけで、穂谷川左岸に移動します。

■穂谷川左岸をゆく(12:56)
橋の上から交野三山を見ています。橋は八十八橋。左端に国見山も見えます。
川の段差には魚が行き来できようような仕掛けもあります。左岸には植樹がしてあり、京阪ゴルフ倶楽部、くずはゴルフ場、高槻ゴルフ倶楽部、水無瀬ゴルフ場、淀川ゴルフクラブのゴルファーが協力金を出した、という看板もありました。河川敷ゴルファーやね。
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交野三山を拡大してみる。ちょっと奥まった旗振山もはっきり見えます。自宅からは、龍王山と交野山しか見えない。Pb030071cut

下流方向。水はかなりきれいです。ただ、土手を刈っていないので、むさ苦しく感じます。Pb030066

■自然巡回路(13:01)
左岸は遊歩道になっています。ぐにゃぐにゃと曲り、アップダウンもあるのが、人工くささがなくてよろしい。以前(2009年)、東高野街道を歩いた時には、左岸の土手には潅木さえも生えていなくて、草刈りのした土手が連なっていました。
http://walkin.way-nifty.com/walkin/2009/05/post-fdd8-1.html
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みえまへん!
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3.道草しながら招堤をくだる

 山田池公園の西の端まできて、これから出屋敷の旧街道に行ってみます。以前、東高野街道で歩いたところですが、それだけでなく何度か歩いています。
http://walkin.way-nifty.com/walkin/2009/05/post-fdd8-1.html

■出屋敷東高野街道(13:20)
 ここは東高野街道筋だったところで、旧街道筋の美しさが残っています。周囲の新しい家はそれ自体はキレイで、さぞ快適な生活が送れそうやなあ、とは思いますが、周囲の景観を顧みない設計と思わざるを得ません。街全体の景観から浮き上がり、かえって景観の美しさをを壊している。少しエイジングしたら醜悪な建物になりかねない。
 しかし、世の中にはいろんな人がいるもので、旧い、古い=非快適、美しくない、悪い、と決めつける人がいます。どんな美意識をしてるのやら、解説していただきたいですね。

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 古くても美しい街です。ボクは建築は素人ですが、この街を作った人は(大工さんは)エイジングしたらこうなるというのを予想して設計しているのではないか。一方、新しい家を設計する人は新しい段階しか見ないで設計しているのではないか?そんなことを思ってしまいます。
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■日置今池街道
出屋敷を出て招堤の日置天神社を目指します。
 ここは出屋敷の東高野街道の一本東の通りです。ここで府道(144)を横切り(13:28)、さらに京阪国道をくぐる。
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 まっすぐ行くと穂谷川を渡り(13:33)、日置今池街道に接続します。
出屋敷の東高野街道がずれていますが、それは出屋敷だからなのか?旧道を無視して、新たに出屋敷を作ってそこに街道を持ってきただけなのか。Pb030110

 ここから日置今池街道が始まります。この街道も枚方市が公募して命名したものです。街道自体は普通の住宅街の道であまりおもしろくはない。以前の記録は→
http://walkin.way-nifty.com/walkin/2009/08/post-28e5.html
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■日置天神社(13:41)
この神社も以前に行きましたので詳細は省略して、戸原さんと大阪府神社庁のサイトを挙げておきます。
http://walkin.way-nifty.com/walkin/2009/08/post-28e5.html

戸原さん:http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/hira-jinjya-2.html
神社庁:http://osakadai3shibu.kilo.jp/jinja/hirakata/jinja/hiokiten.html  

今回はだんじり小屋を見にきた訳です。8棟の小屋がアーチ型に並んでいることだけでも壮観です。
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だんじり本体は祭礼の時に。その写真は・・・
http://snsh.sakura.ne.jp/hikarenai/hiokitenjinja/hiokitenjinja1.htm

■穂谷川堤防に復帰(13:51)
 遊歩道はずっと続いていて、散歩している人も見かけます。自転車はOKのようですが、一人も見かけませんでした。
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◆招堤南町付近(13:53)

河川敷はお花畑になっています。多分許可を得ての話でしょう。Pb030140 Pb030144



お父さんと一緒。いつまで腕を組んでくれるのやら?(13:57)Pb030146

 

4.牧野ブラブラ

このあたりから右岸はもう牧野に入っているはずです。

■ちょっとカメラテスト
反射光が入ってもあまり酷いことにはなりません。
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■河川敷に花が植えてありました(14:08)
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■アクロバット(14:10)
牧野本町に至る橋のあたりで異様な光景を発見!
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 架線の点検でしょうか?一人がゴンドラから出てするすると渡り始めました。左写真から右写真へ、この間約1分。

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 また一人ゴンドラを出ました。命綱はあるにせよ、信じられない動きです。堤防上の通行人は唖然として見上げ、写真を撮っていました。
 関電の経営方針には一言言いたいですが、関電の(きんでんかも)現場はスゴイ!

気を取り直して遊歩道をいきます

■自然巡回路案内板(14:13)
これはよくわかる。船橋川の右岸も、自然巡回路の完成しているところは以前に歩きました。
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■牧野車塚古墳(14:30)
ここは以前にも行ったことがあるので、写真を1枚だけ載せておきます。
http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/makinoateri.html
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◆後円部の下りから前方部を見る

■要塞仕立ての墓地
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 車塚古墳の手前にある墓地ですが、得体の知れない要塞のようにフェンスで囲まれています。ここまでする必要があるのか?古墳一帯は気持の良い公園になっていて、散歩する人も多い。せっかくの場所なのに、古墳景観も台なしです。訳のわからんことをする?

■片鉾橋で穂谷川復帰(14:42)
片鉾橋から下流を見る(左)、下流側から片鉾橋を見る(右)
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アーチ型に段差を作ってあります。場所は馬場前橋のすぐ上流側です(14:47)Pb030204

馬場前橋(左)と防垣内橋(右)
いずれも由緒ありそうな名前ですが、詳細分かりません。どちらの橋もまっすぐ、片埜神社に向かっているので、神社からみの命名かも知れません。
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■片埜神社(14:58)
 交野郡一之宮です。「河州一之宮」とありますが、そこまで言うとちがうやろ。この神社も以前お参りしたので、詳細は省きますが、おもしろいのは、社頭掲示の追記として,「当社の御祭神について,交野物部氏と関連づけ て物部氏の祖神である饒速日命とする記述や,交野忌寸の 租神を祀るとする記述がありますが,これらは誤りです」とある。
http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/makinoateri.html

 同じ「かたの」読みなので間違われるのでしょう。それ以上に、天野川流域とはちがうんや、という主張に思えてしまいます。由緒によると、片埜神社は、出雲の野見宿禰が、天覧相撲に勝った恩賞に河内の領地を拝領し、須佐之男を祀って創建した、とあるので、そもそもの成り立ちが違う。時の垂仁天皇は野見宿禰の進言に従って殉死を禁止し、埴輪を墓に立てて代替とすることを命じたということです。さらに、野見宿禰の子孫が土師氏で、天皇の葬儀を司り、埴輪や土師器も造った。さらにその末裔が片埜神社の社家になっているらしい。そりゃあ、祭神はニギハヤヒではないというでしょう。

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この本殿、塗替えがあったんでしょうか?えらく鮮やかです。

■伝アテルイ・モレの墓
http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/makinoateri.html
5年ぶりです。初めて訪れたのは2006年ですから、ずいぶん経っています。その時は旧い塚しかなかった。
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寂しかった旧塚も丁重に扱われていました。Pb030222

牧野公園北側の正面入り口、入ったところにあります。あたかも牧野公園の看板になった感じがします。
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もとの穂谷川に戻ります。

■戻る途中にあった日本屋(15:05)
こうなると、トタンかぶせも古いものを消防法規制があるのでしょうことなしに使うというスタンスでなく、ニューファッションやなあ、と。そのくらいの新しさ、美しさを感じます。
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■歩いてきた路地
ぐにゃぐにゃと曲がりながら、ゆるやかに登っていきます。なかなか捨てがたい。Pb030231

■その小路の続きは明治橋
そういえば、ここは明治期の京街道が穂谷川を渡るところでした。京街道も歩かないかんかな?しかし、東海道も知立でストップしたままだし・・・

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京阪牧野駅に着きました(15:09)
一服したいところですが、喫茶店が見当たりません。Pb030233



5.牧野河口へ

■牧野駅を過ぎたところ(15:15)
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■牧野パークゴルフ場(15:26)
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■河川敷に降りてきました(15:30)
樟葉方面を見る。さすがに歩く人はいなくて、自転車の人が多いです。
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■淀川につきました(15:32)
上流方向をみています。比叡山も見える。
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河口部から上流を見る。ちょっと満身創痍。Pb030249

仮橋から河口部を見る。河口部を渡る橋は通行止めで、仮橋がかかっていました。

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淀川との合流点
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 河川敷の管理道。走るもよし、歩くもよし、自転車もよし、バードウォッチングの人も多いです。この先、枚方側にいくとオニみたいな直線道路(ややカーブはしていますが)があります。ダッシュのトレーニングには最適かと。いろいろ楽しめる道です。
 ボクのブログの最初の記事になった記念すべき道です。
http://walkin.way-nifty.com/walkin/2005/05/post_62ad.html

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穂谷川を最後まで下りました。

 穂谷川、予想に反して水がきれいでした。魚影は季節柄見えなかったけれど、魚はいるのではないでしょうか。ただ、護岸はあまり手入れされてなくて荒れた感じがします。そのぶん、手付かずの自然は残されている。残されているというより、勝手にしぶとく生きているということでしょう。穂谷川もポイ捨てゴミには泣かされているが、健気にしぶとく生きているのでしょう。つぶさに見ていくと、いろんな生が見つけられるに違いない。 杉から始まる堤防上の遊歩道も気持ちの良い道でした。

 穂谷川本流の源流は水路然として、ゆったり見て歩くというきにはならないですが、その支流群、穂谷の奥谷の里山はさすがに「にほんの里100選」にはいるだけのことはあります。のんびりでも、じっくりでも見て歩くには格好の場所です。そこは、いきものの生活の場であり、土地の人の生産の場、生活の場でもあります。穂谷の里のいきものから学ぶとともに、そこで生産される産品をうまく消費し、生産に返すサイクルが軌道に乗ることを願っています。

 (ひとまず終り)

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2014.11.23;字句訂正

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コメント

いつも楽しく拝見しております。
また、記事を参考に歩いており、大変感謝しています。

今回の記事で、穂谷西側の谷筋を歩きたくなりました。
尊延寺の石仏めぐりと合わせてプラン中です。

さて、最後の牧野周辺の写真は大変懐かしかったです。
実は穂谷に学舎(当時はセミナーハウス)が建った頃に、
外大に入学しました。
かつての外大は車塚古墳の斜面に立地していて、
枚方駅から外大行きのバスは甲斐田から左折してコマツの
コンクリート壁を延々見てドンツキにありました。

現在の外大は中宮に移転して広くなり、当時を知るものとしては、
隔世の感がありますね。

また、牧野駅周辺には外大生と医大生の下宿やアパートが多数あり、
両校の学生が混在してウロウロしていました。
パチンコ屋ぐらいしかない駅周辺は、今も変わりがないようですね。

今は、柴田先生のコースガイドに夢中になっていますが、
春先には久々に穂谷川の土手を歩いてみたいです。
失礼しました。

投稿: Juantonto | 2014年11月21日 (金) 10時59分

コメントありがとうございます。
■穂谷里山;いつも尾根道を通って穂谷に降りていましたが、奥の里地里山はなかなかのものでした。コナラの黄葉も盛がきたようで散らないうちに行ってみます。
■里山にある外大:里山にあるというのはユニークな立地ですね。学生もきちんと穂谷里山を見てくれたらと思います。車塚古墳そばの図書館やもう1つの建物は元外大のものだったんですね、知らなかった。あそこには留学生の宿舎?ができていました。
■柴田先生特選コース:ただいまちょっと調べ中です。
またよろしくお願いします。

投稿: walkin | 2014年11月23日 (日) 16時01分

「オカンの嫁入り」という映画、御覧になりましたか?
実は、牧野が舞台です。世にも珍しい枚方の映画です。
京阪電車が協力して、どこで聞きつけたのか、沢山の野次馬が出没して、撮影されたようですよ。
それでは、このブログ、また、楽しみに拝見させて頂きます!

投稿: エセル | 2014年11月27日 (木) 10時21分

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