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2013年12月14日 (土)

■河内 治水のみち2 大和田、千林

2013年12月  6日 大和田
2013年12月13日 千林



 茨田堤を先行して歩くために、ちょっとワープして大和田・堤根神社を訪れました。萱島から歩いていきます。萱島駅の西口はもう門真市で(東半分は寝屋川市)、駅北から西に向かって市境沿いを歩きます。

より大きな地図で 劍堤 を表示 

■宮野町自治会館前の水路P1290339

■神社近くの水路に古い樋が残っていました
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宮野樋と読めますが、あとは分かりません。情報もないですね。P1290359_2


4.堤根神社・茨田堤遺構

■茨田堤遺構
神社を挟んで東西に100m程残っていました。厳重にフェンスで囲われています。北側の道を少し入ってみましたが、塀に囲われています。この中は堤根神社のようなので、神社の表から廻ってみます。楠木は樹齢500年と言う。
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■堤根神社・鳥居と長い参道P1290384

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■二の鳥居と拝殿
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 主祭神は彦八井耳命(ヒコヤイミミ命)となっています。旧淀川縁の茨田堤築造に大きな功績を残し、その後も堤の管理をしたとされる茨田一族が、その祖神とされるヒコヤイミミを祀ったのでしょう。
  ただし、古事記では、初代・神武天皇と正妃・イスケヨリヒメ(ヒメタタライスズヒメとも)との間に生まれた3皇子(ヒコヤイミミ・カムヤイミミ・スイゼイ 天皇)の長子で、日子八井命(ヒコヤイ命)、茨田連・手島連の祖となっていますが、日本書紀では神武の皇子はカムヤイミ ミとスイゼイ天皇の2皇子しか書いていないというややこしさは残ります。また、茨田連が渡来人となっている資料もあるという。
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/tutumine.html

P1290379

 しかし、天武天皇13(684)年、八色の姓が定められた際に、茨田連は宿禰(すくね)なる新姓を与えられました。宿禰とは真人、朝臣に次ぐ3番目の姓なので、茨田氏はけっこうな有力豪族になったといえそうです。

■神社からみた茨田堤
本殿の後ろに廻ってみます。こちらの方が見やすい。
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■顕彰碑
1973年に史跡指定されたときのお祝いの顕彰碑が建っています。
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賛辞

茨田堤は仁徳天皇の時に築かれたと伝えられ、
以来千数百年 土地の人々の生活を守り、 人々
もこの堤を守って今に至った。一九七三年史蹟
に認定され 保存顕彰されることは まことに喜ば
しく 、ここに慶祝の意を表するものである。
        一九七八年五月
    大阪市立大学教授
        文学博士 直木孝次郎

■三宝神、宅神の石碑
本殿裏に新しい社殿の中に石碑がお祀りされていました。

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三宝神は分かりますが、句々廼馳命ほか分からない神様が多いです。この際、以下に整理しておきましょう。ご神徳は、台所、トイレ、風呂の守護ということです。

◆句々廼馳命(ククノチ(クグノチとも)
日本神話に登場する木の神である。『古事記』では久久能智神、『日本書紀』では句句廼馳と表記する。
◆水速女命(ミズハヤノメ)
これは分かります、水の神ですね。水速、水早、水走は字の通り、水が走りわたるのでしょう。耕地の灌漑の用水の意味か。有名どころでは、丹生川上神社中社、貴船神社の祭神ががそうです。

◆彦狭智命(ヒコサシリ)
古代の宮廷祭祀を務めた紀伊忌部の祖、
・天照大神が天岩戸に隠れてしまった際、手置帆負神とともに天御量(あめのみはかり)を使って木材を集め、瑞殿(みずのみあらか)を造営。
・神武天皇の橿原造営の際には、彦狭知命と手置帆負神の子孫が斎斧(いみおの)や斎すき(いみすき)を使って、正殿の造営を行った。
・一方『日本書紀』には、彦狭知命は、祭祀に用いる神聖な盾を奉勢する「作盾者(たてぬい)」の役割を与えられると記されています。
よって、古代の建築技術者、また盾の製作専門技術者。木工の祖神とされている。   
◆闇淤加美神(クラオカミ)
・水の神。古事記で淤加美神(おかみのかみ)、日本書紀では闇龗神(くらおかみのかみ)。基本的には水の神・龍神様とみなされており、闇淤加美神は谷間の深い所に、高淤加美神はその山の上にいるというイメージのようです。丹生川上神社の御祭神です。
◆闇御津羽神(クラミツハ)
・水の神。古事記では闇御津羽神、日本書紀では闇罔象神。「闇」は谷間を、ミツハは罔象女神(ミズハメの神)の罔象と同意味の水の神で、「水つ早」と考えられます。

よくもまあこれだけ、水に関する神様を集めたものだと思います。大河の近くとはいえ、ほしい時にほしいだけの水を得るのはなかなか困難だったので、水神をお祀りしたのでしょう。

■境内末社
 拝殿前の左手ににも末社があります。右側は九頭大明神と八幡大菩薩、中は蛭子社、左は稲荷社となっています。

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右側は祠の中に、石柱が安置されていました。こういうものなのかどうか、あまりよく分かりませんが、九頭大明神は龍神でしょう。

 日本各地に九頭竜伝承があり、福井、戸隠、箱根・芦ノ湖の九頭竜の言い伝えは有名ですね。芦の湖の龍は生贄を常に求めていて、村人はその怒りを静めるために白矢が立った家の娘を生贄として捧げたという。
 元々は、男大迹王(後の継体天皇)が越前国の日野、足羽、黒龍(後の九頭 龍川)の三大河の治水工事を行い、黒龍大神、白龍大神の御霊を祀られたことによるもの。
 この付近を流れる、寝屋川、古川のぐにゃぐにゃ流れる様をみていると、まさに龍で、それが怒って、カーブのところでたびたび決壊したのでしょう。怒ると手をつけられないが、おとなしい時は水の恵みを与えてくれる。やっかいといえばやっかいです。

 主祭神は彦八井耳命というのは理解できるにしても、本来の祭神は、やはり水神で、淀川の氾濫防止と堤防守護を願ったものなのでしょう。

5.千林の強頸

 千林にきました。ここで武蔵の強頸がどうなっているか?です。それを見ていきたいと思います。

■改札を出ると商店街ですR1247010

にぎやか!活気に溢れています。おばあちゃんの原宿・巣鴨地蔵通り商店街と比較するのは失礼か。こちらはもっと現役主婦向け商店街か。天神橋筋とはまたちがう魅力があります。この場所はたしか、ダイエー発祥の地(店)です。

■あじな商店街
夜がおもしろそう
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■安い!
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■強頸絶間
 本来、ここは強頸絶間~武蔵の住人強頸が人柱になった地です。「強頸絶間之址」碑があるはずですが、今は、個人宅地に建っているので見られません。実物写真は下記のサイトにあります。
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/090627/20090627058.html

 さて、井上宏さん「千林・今市界隈の思い出」のサイトでは
第三十八話 千林に堤防を築くため、武蔵国(埼玉・東京)の人が生贄(いけにえ)になった!
http://homepage2.nifty.com/konyuu/inoue-hiroshi/index.htm
第四十二話 強頸絶間の碑は昔、加藤茶店の前にあった 
http://homepage2.nifty.com/konyuu/inoue-hiroshi/senbayasi-no-omoide/senbayasi-no-omoide11.htm
また、水都物語のサイトでは、京阪線千林駅から西へ約百メートルの所に、かつて千林尋常高等小学校があり、強頸絶間石碑は校庭にあった、と書いています。
http://www.nnn.co.jp/dainichi/kikaku/suitokikaku/suitokikaku07.html

要するに、「強頸絶間之址」碑は元々千林尋常高等小学校の敷地にあった。場所は現在の千林駅前、加藤銘茶本舗の前にあるソフトバンク辺りである、とあります。そうすると、このあたり。

P1290847

 加藤茶店は見当たりませんが、このあたりのはずです。ところが!ソフトバンクの位置が変わっていました!!加藤茶店はこの東京三菱UFJの1軒挟んで東側(写真の手前)です。
 明治、大正の頃は、ここは強頸絶間の址として名高く、それを記念して碑が大正5年に建てられました。さらに遡れば、ここには強頸の冥福を祈るために「きやうらん寺」という古寺が建てられていたといいます。昔は丁重にお祀りされていたのです。しかし、今はそのよすがが感じられません。

 しかしもう一つ有力な情報がありました。
http://www.city.osaka.lg.jp/asahi/cmsfiles/contents/0000174/174707/P018-019.pdf
http://yone37458ballet05410n.web.fc2.com/nanshiki/kowakubi/kowakubi.htm
強頸地蔵尊というのが祀られているのです。

 少し探すと、強頸地蔵尊は駅の南ですぐに見つかりました。ただ、対面のマンションが工事中でゼブラのパーテーションが映りこんでいます。

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まぎれもなく、「強頸地蔵尊」と書いてあります。この地蔵尊の経緯はよく分かりませんが祠はとてもキレイです。大切にされているのが分かります。ありがとう。なにしろ、千林一の恩人ではないですか。

・・・・ということで、確かに、強頸絶間縁の地であることが分かりました。


 目的は果たせたので、商店街周辺をブラブラします。

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よく熟れた古い家も残っています。商店街ばかりではないんだ。R1247001

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町内安全の提灯が下がっていました。地蔵尊です。P1290856

千林商店街もさることながら、千林の街は気に入りました。今度じっくり歩いてみたいと思います。

(つづく)

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