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2013年12月16日 (月)

■河内 治水のみち4 大庭-京街道守口宿

2013年11月14日 守口
2013年12月12日 土居


 堤防を下りて、守口宿へ向かいます。
 文禄堤は地図に示したように、現在の堤防に近いところを通っていたようです。
http://www.yodogawa.kkr.mlit.go.jp/know/rekisi/kakawar.html
京街道は、ここ大庭から堤防を(文禄堤を)いったん離れて、守口宿でまた合流することになります。

より大きな地図で 劍堤 を表示

8.京街道守口宿

■八坂瓊神社
 また、裏口からですみません。祭神は素戔嗚命。

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 さて分かりません。八坂さんなら、スサノヲ、牛頭天王は分かります。ヤサカニとは三種の神器の八尺瓊勾玉(やさか にのまがたま)の八尺瓊ということらしい。さらに、「瓊」は赤色の玉のことであり、これは瑪瑙(メノウ)のことであるともされる。大きな立派な赤い玉と牛 頭天王がどうつながるのか?失礼ながら、八尺瓊神社がヤサカニ神社ということで、牛頭天王信仰の流行により、八坂瓊神社となったとか?由緒が分かりませんと書いてあるので、当方も分かりません。
ハトが笑っているように感じます。

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  神社案内に、『境内末社に稲荷神社、開墾神社を祀っている。・・開墾神社は由緒書(社蔵文書)に、往昔より鎮座あり、河内国川流の後葭草の処、村人二十四 名相互に土地を開墾し、五穀を蒔付くるに、繁茂成熟して種実を得るに至る。彼此境界無く殆んど分界し難し依って磅爾を設け立て名を道祖神と仰ぎ奉祀す』と 書いてあります。こちらのほうがよほどリアリティがあります。

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よくわからないまま、神社を後にします。これがメインエントランス。

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■水道局にイルカはいるか?
京街道に従って歩いていきます。

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■八雲
八雲北町というところを通ります。

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自治会館の前の新しい道標。
この「時空の道」というのを調べようとしましたが、よく分かりません。
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京街道は阪神高速をくぐり、守口東高校を過ぎ、府道を出たり入ったりしながら住宅街の中に続いていきます。

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■一里塚跡

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■道標
 旧国道1号を渡り、府道に出合うと道標がたくさん建っています。

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南東角にある建物は難宗寺。浄土真宗本願寺派(西本願寺派)、文明9年(1477年)に蓮如上人が守口御坊として建立したのがはじまりといわれます。浄土真宗には興味がありませんので詳細はパス。

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府道は守口街道というようです。東進して巣本で163に接続ですか。
京街道はここで、西に折れますが、今回は

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まっすぐ行きます。何故か?

■石段
素敵な路地を進んで、目的の石段につきます。

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これはスゴイ。石はつるつるでよく使い込まれています。
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■ここを登ると京街道、かつ文禄堤の遺構です。石段下り口には道標があります。

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右 なら のざき みち
守口街道で、巣本、堀溝、四條畷で清滝街道に接続し、逢坂、清滝越、田原経由で竜田までですね。

■京街道・文禄堤をゆく
ガス管かなにかの工事で路面がたがたです。補修はされると思いますが、ちょっと痛々しい。

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うだつ、古家、新しいお店
古いものを活用しながら、街の賑わいを取り戻そうとしています。

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ここでいったん文禄堤を下りて、遅い昼食にします。
駅北のうどん屋かバーか喫茶店か分からないお店。うどんは絶品でした。

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■再度、文禄堤

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■森居橋

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■文禄堤の高みが終るまで歩きました

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 守口の核になりうる歴史的遺構です。この遺構は治水でなくても今も使える。秀吉の遺産もこれなら許す。この価値を生かすも殺すも、現代の我々にかかっていますね。

これから、放出に向かいます。

9.土居・守居神社

 放出に行く前に、守口から歩いて土居の守居神社に立ち寄りました。京阪商店街に入り、左に折れて土居商店街にはいります。結構にぎやかでした。

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商店街の中に守居神社があります。商店街が参道になっている様子。

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由緒をみると・・・・
醍醐天皇延喜18年(918年) 此の地に鎮座。素戔鳴大神(すさのおのおおかみ)・賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)を御祭神としております。
社記に天道神・太歳神齢殺神また素戔鳴尊。三輪明神・清瀧明神・日吉権現・新羅明神・三井神とも書いてあります。いづれも淀川流域の守護神として此の地に土居を築き社殿を構えてお祀りされたのが創りで、地名を土居の庄と称し、昔は土居神社と称号されておりました。

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創建の謂は、守口市教育委員会の掲示によると、『延喜十八年(918)淀川洪水の時、西南石碑の淵で、我天道神也。我を祀れと鈴の声でお告げがあったので、「土を居いて」お祀りしたのが始まり』ということなので、洪水防止で堤防を補修または新設して、堤防守護のために創建したのでしょう。

明治五年の、滝井・産土神社(素盞嗚尊)、明治四十年の猿島(現在の桃町)・大隈神社(茂別雷神)の合祀以前は、天道神、太歳神、歳殺神、素戔鳴尊、三輪明神、清瀧明神、日吉権現、新羅明神、三井神が祀られていたことになります。また、末社にお稲荷さん、塞神社(八衢比古神、八衢比売神)があり、ありとあらゆる神様が祀られています。特に、路傍の神、塞の神系の神様がたくさんいらっしゃるのが目を引きます。これが守居神社の特徴のような気がしますが、すんなりまとめられません。

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そんなことより、買い物ついでにちょっと寄られる商店街の神社、徹底的に庶民の神社というのが最大の特徴でしょう。

(つづく)

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