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2006年10月17日 (火)

天の川散歩事始

【天の川事始】

 2006年10月17日、枚方の法務局へ行ったついでに、天気もよかったのでブラブラと天野川を私市まで歩いてみました。「おう、これはおもしろい」とて、ことVfsh0046あるごとに歩いてみることにしました。定期的にここでは天の川と記します。

 又や見む 交野の御野の 
   桜狩り 花の雪散る 春の曙

            藤原俊成

 京阪電車枚方駅近くの天津橋のほとりには藤原俊成の 歌碑がありま す。写真では字は見えないでしょうがこのように書いてあります。

 枚方市から天の川沿いに広い原っぱ(今は田畑のほかに住宅が多くたっていますが・・・)があって、「交野ヶ原」と言われています。
2amanogawa この地は、桓武天皇が延暦2年(783)に行幸して鷹狩りをされて以来、さかんに行幸があって、十数回に及んでいるそうです。単に鷹狩りだけというより、百済王明信の里でもあったので、蝦夷の反乱に手を焼いていた当時としては、心落ち着く場所ということがあったのではないでしょうか。
 天皇の遊猟がある度に、皇族や宮廷人達も続々と交野が原に来ることになり、貴族にも遊猟の地として愛され、また春には桜狩りが楽しまれるようになりました。
 この歌は「新古今和歌集」ですが、伊勢物語の中でも、惟喬親王が在原業平を従え、交野で花見遊びをしたとか、また、「太平記 俊基朝臣再び関東下向の事」の段にも
『落花の雪にふみ迷ふ片野の春の桜がり、紅葉の錦きて帰る、嵐の山の秋の暮れ、一夜を明かす程だにも、旅寝となれば物憂きに、恩愛の契り淺からぬ、我が故郷の妻子をば、行方も知らず思いおき、年久しくも住みなれし、九重の帝3amanogawa都をば、今を限りと顧みて、思わぬ旅に出でたまう、心の中ぞ哀れなる。』
と記されていて、あの嵐山に比肩すべきものであるほどに、この地が有名になっています(今はそう有名ではないか?)。

 ともあれ河原におりて歩きます。遊歩道ができていますが、あまり楽しい河原ではない。それでも水はまあまあきれいで、コイと思われる魚群が見えました。結構大物です。 見え ている鉄橋は京阪交野線です。遊歩道はすぐ終りました。

4carp 5amanogawa

 宮之阪の駅を過ぎると、古墳が見えてきます。電車か ら いつも見ていて、いかにも古墳だなあ、いつか見てみたいと思っていたところです。禁野車塚古墳といって。4世紀末のものです。円墳かと思っていたら前方後円墳で、西側の公園の広場が方墳部でこんもりとしたマウ ント部が円墳です。
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 ちなみに、禁野というのは、天皇以外は入ってはならない土地であったことから、今でも禁野の地名が残っています。

10riverside  国道一号線を越えて星ヶ丘あたりになると、のんびりした田舎道の風情になってきました。快適です。168号線の橋の ところで大休止。ココから先は歩道のない168号線を歩きますが、結構車が多くてややこしいです。と思っていたら、住宅の向こう側に歩きやすい道があるのでした。
11ginga 国道沿には「ギンガ保育園」というのがあります。さすがに天の川の川端です。
 話は変わりますが、うちにはネコがいて、ギンガという名前です。ケンカっ早いオスです。いろいろ おもしろいエピソードがやたらあるのですが、またの機会に。写真だけ披露しておきます。
Imgp1267_2

 村野のあたりで、橋を渡って左岸に行きまし た。このあたりは釈尊寺で、団地を過ぎると新天野川橋で す。ここから上流 の川端道は住宅の裏庭のようなところを細い道が続いていて、のぞき見する感じで 嫌なところな んですが、かまわずズンズン歩いていきます。

13wakimichi 12sagan

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 当地の地形については昔、小学校の子供の夏休みの宿題で立体地図を作ったことがあるんでしたが、それはもっと山の方でした。このあたりの地形については平野ということで、あまり気 にもとめてなかったので、この際調べてみました。
Nashidukuri 「星のまち交野」 のサイトよれば、平野部は、海抜の違いによ  り大きく三つに分かれるということです。一つは星 田 から茄子作りにかけて広がる高さ50~30mの台地、二つ目は、私部、倉治、幾野、郡津が位置する高さ30~20m の台地、三つ目は 天野が原、梅が枝の位置する20~17mの平 地です。三つ目が今歩いているあたりで、若干低めの土地 で、そこを天の川が流れている訳です。この平地は天野川が 運んできた土砂の堆積 によって 形成されたものです。昔は天の川に流れこむ支流は天井川が多かったときいたことがあります。
 交野が原の大部 分は、かっての海岸段丘だそうです。その後縄文早期(縄文海進時代)には気温の上昇に伴い、海 面の上昇が始まりま した。。
大阪平野では海水が生駒西麓まで押し寄せて河 内潟・河内湾が生まれ、このあたりも海だったということです。
 子供のころ、本で、北極と南極の氷が溶けたら・・・海面が何 十メートル(数字は忘れたが、30mくらいだったか?)上昇 するという話題を 読んで、当時住んでいたところが70mく らいだったので一安心した記憶があります。もし将来、縄文海進程度に海面が高くなっても、今住んでいるところは大丈夫かなと、今も思ったりしていますが、まあ、最近の地球温暖化の様子を見ていると、海Vfsh0081面上昇以外の影響の方がおおきく、そうなったら安心どころではないと思いますが。

 まもなく逢合橋です。これも天の川にちなんだ名前ですね。 ここから先は何度となく歩いているところで、四季に応じて楽しめますが、早春が好きですね。
 ここで変なもの 発見。河原の柳の樹にポリエチ袋で作ったテルテルボウズにようなものが吊ってあるのです。それもかなり高いところに。 簡単に登れる高さではありません。そういえばもっと下流にもありました。さらVfsh0087に上流にも。一体なんの意味があるのか?謎です。
 このあたりは天野川緑地になっています。道は細々と続いていますが、この横には結構広い 広場がある。都市公園みたいにあまり手入れがされていなく て一見雑然としています。田舎町の公園とはこんなものかな、と思います。この西側の斜面には甘草が植えてあって群落をなしているところがあるのですが、今は季節が過ぎているのでパス。夏になるとみものだと思います。
AmanogawaparkCrossing
 JR学研都市線の踏切を過ぎて次の橋(名前を忘れまし た)を渡る頃には、道は俄然狭くなってきます。が、一応続いています。
  このあたりの天野川は数年前まで、護岸工事がなくて川端にはうっそうとした竹林や雑木林がありましたが、今は、一部を残すだけできれいに護岸整備されていました。
Kisaichi Kisaichibashi  私市の市大植物園に入る橋を過ぎると工事現場に突き当たりました。住宅でも立つのかと思っていたら、公園の 整備なのでした。夏7月7日になると、ここで七夕祭が盛大に 行われるようです。まだ見たことはないのですが、新聞やTVなどで紹介されて、結構有名になってきているようです。竹灯ろう点灯が幻想的ですって、テレビでしかみてない。

Wakamiya 私市で天の川ウォークは終りにして、帰りに若宮神社によ ってみました。
 拝殿には格子戸があって中には入れませんが、格子から本殿を撮ってみました。由緒によると、天田神社が先にあったので、若宮神社とよび、住吉四神をまつっているのですが、それはなにかの拍子であやまって伝承したのであって、本来はニギハヤヒをおまつりしているのだ、 と書いてありました。主祭神をなにかの間違いだと主張している由緒書など見たことありません。さすがに、ニギハヤヒの地盤だけのことはあ ります。これは気に入りました。Wakamiya2

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